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孤独を寂しく感じたり、自分の気持ちをわかってもらえない、大切な人が理解してくれない、あるいは大切な人と思える人がいない‥‥こうやって寂しさがいつまでも埋まらないのは特別なことではありません。誰だって「わかってもらえない」というような寂しさは持っているものです。

寂しさがあるのは普通のこと

photoBさんによる写真ACからの写真

 

寂しさがあるのは普通で当然のことなんです。

特別なことではないのに、その重圧に苦しくなり悲しくなり辛い…という人は、寂しさがあっていいと認めてないから。寂しいのは悪いこと辛いことって決めてるからですよ。

 

学生から…社会人になっても、いつまでたっても『仲間外れ』にされることを恐れ、周りに適応することに過剰になっている人が多いわけは、「わかってもらえない」を感じたくなくて「分かり合えてる」という安心感を求めているからこそ。でも、本当に本当は分かり合えてなんかないのに、そういう風に演じているだけで表面的には孤独ではない感じがして、偽物だけど安心できる。

 

全て嘘なのにね。

 

こういう生き方を続けていくと、どれだけみんなで繋がっていようが常に寂しい感覚に追い立てられてしまって、「そうじゃない!私は寂しくない!分かり合えている!」と証明したくてSNSにみんなと繋がってる感に溢れた、幸せに満ちた、キラキラ感に満ちた‥‥そんなものをアップしなきゃならなくなる。

 

フェイスブックやツイッターも有益情報もたくさんあるけれども、そうでないもので溢れてます。たとえば「心楽しく自分の楽しんでることをシェアしたい」、こういう気持ちって分かち合いなんですよね。でも、いざSNSにあげた途端に誰かの比較対象物となるわけで、その意識はアップする側は「ゼロ」じゃないはずなんですよね?

 

そうなったら純粋な分かち合い精神ではなく、ある意味戦いになってくるの。だからあーゆうのは見ると疲れるものが多い。

 

つまり、証明したいそれというのは実に他人を疲れさせる。

 

そして、証明したい心根を持った自分自身も疲れるのです。

 

 

でも、最初にも書いたけど、

寂しさがあること、誰にもわかってもらえないという感覚があること、これはほとんどの人の中に存在しますよ。あって当然。

 

 

「あって普通普通ー」と思えない人って、

こんな気持ち↓を持っているんですよね。

 

『なんで?なんでそんな「誰にもわかってもらえない」なんて、そんな寂しさが存在する必要があるの?そんなものがあっては辛いだけだから無くさなければいけない』

 

 

いやいや‥‥
孤独を楽しめることは必要なんです。

必要だからそれがあるんです。

 

そもそも、
あなたは生まれてくるときもそうでしたが、死ぬるときも「独り」ですよ。

 

生まれてくるとき誰かあなたが生まれることを待ち望んでいたとか、死ぬるとき誰かがあなたが死ぬるのを泣き惜しんで悲しんでいたとか、そういう周りの人がいたとかいないの話ではなくて、生も死も結局は一人です。一緒に生まれてくるとか一緒に逝くこともできません。だから、人はそういう孤独という部分を持ち合わせた存在だということ。

 

孤独をかわいそうとか、悲しいとか、不幸だと決めるのは不自然じゃないかなってことです。

 

 

孤独があっても、心が不安定になるなどの影響を受けずに在ることが、自分を持つことであり自分を受け入れることであり、それがあることで自分の人生に反映されるもの(行動)にも変化が起きてくるのですから。

 

 

人生の中で誰かと絡まってなければ寂しいって、他人を求めてばかりいたら余計寂しいんですよ。「誰にもわかってもらえない」そうそう、そうですよ、そういう経験が必要なんです。そういうことを認めてしまった方が自然なんです。

 

 

どうしても自分に起きていることの「それ」を本当に理解しわかってもらえる他人はいないのです。唯一、わかってもらえる人がいます。それが自分自身ということです。

 

そういう認め方が自分に対する責任を持つということではないでしょうか。

 

自分自身を認めて受け入れること、それを深めていくほど「それ」には囚われることはなくなります。そうするからこそ、他人を愛することも深まるのです。

 

 


 

 

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