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子どもは親の所有物だと思うことから子育ての悩みって膨らんでいきます。その最悪の結果を先に書くと、親子間の殺人事件ですもの。だから、ほんとうは「子どもを生む」ということはかなり重要な責任をもつことであり親となる者は相当な覚悟を持った上で子どもをもつべきものなのだと、今となって強く思います。

 

 

今の時代、時代の流れを見ても(日本という国をいろんな角度から、何を見ても)、非常に厳しい状況にあるため特に、より一層「親の覚悟」の必要を強く感じます。ただ「自分が子どもを持てば幸せママになれる♪ハッピーキラキラママになる♪」なんていう夢だけで子どもを持とうとしないでくださいね。

「子どもを持てば幸せ」はただの幻想。ちゃんと自らが幸せをつくろう

「子ども=幸せ」ではありません。

いざ子どもを持ってみるとしんどいこと、これまででは考えられない感情の乱れ、自分の本性の周辺にある様々なことも見えてきますよ?

 

その部分はできることなら子どもをもつ前に知った方がいいです。でも、本性?そんなの特に隠しているようなこともないしー、なんて思っていても、結果的に子どもをもったことで自分の本性を覆う問題を知ることは非常に多いのです。多くは子どもを持ったことによって、あぶり出されてきます。

 

 

 

さて、子育てにおける問題を抱える方のそのほとんどは、子どもを支配しコントロールしようとすることで問題を生じさせてます。

 

 

確かに子どもが言うことを聞かなくて大変するのは親かもしれない。

子どもが暴れん坊でやんちゃだから、それで大変するのは親かもしれない。

 

 

なんせ、今の時代子どもが子どもらしく生きることをあまりに認めていないのだからねー。

 

 

この社会の構造がそうなってるんです。人間を、その個人を、ひとまとめにコントロールしやすくするために、一定の枠に納めたいだけなんですから。そうやっている側があると言うことです。これは決して個人の本当の豊かさには繋がらないのです。

 

 

たとえば、
「子どもらしく遊ぶ」こととは、その遊びがどんな風に発展していくかは本当に未知。だって、子どもは本来めちゃくちゃ発想豊かなのだから。

 

その一方で大人はすっかりと枠に固定されてしまい、自らから生まれる発想なんてないと思い込んでます。

 

「決まった答え」しか知らない、と
こう信じ込んでしまってますからね。

 

 

子どもならではのその豊かな発想から、とんでもないびっくりするような遊びをやり始めたりもします。で、その発想をすぐさま潰すのは親や大人です。「よくない」「危ない」「他の子に迷惑」「ルールと違う」だのと言って型にはめる。ほんとうによくないのか?ほんとうに危ないのか?ほんとうに迷惑なのか?…ほんとうは目の前を見てよく考えてない。

 

 

ゆとりの幅がない。

白か黒かしかない。

グレーゾーンを認められない。

 

 

これって周囲のルール、その枠からはみ出てはいけないという強い思い込みがインプットされているためです。命に関わることでもなく、また誰にも迷惑をかけることでもないのに、ただただルールから少しでも外れたら大変だ!っと規制をかけるんですよね。大人の方が「自分という個人」を持っていないから、自分を持った子どもの表現したことに対して大人の方が対応できないんです。

 

何度決意しても変わらないのはなぜ?

ここから先はクライアント様とのやりとりの一例です。

 

母としての自分の問題を自覚し、このままではいけないと思う気持ちとは裏腹に同じ繰り返しをしてばかり…そんな状況の最中にいるクライアント様。

 

いつにも増してキレやすくなっている息子を見て、もう始まっているなーと思って悲しくなりました。

 

こんな母に育てられて気の毒だな、なんて自虐的に思ってしまいます。

 

これらの視点は妙に冷静でよく理解されているのですよね。

自分のしていることごとを、そしてその結果どうなるかというところまで。

でも、どうしてか変えられない。

何度決意しても変えられない。

そういうことの繰り返しだから苦しい。

 

 

意志の力ではどうにもならない苦しみを実感されているのですよね。

 

 

多くの方が、自分の問題を解消できていないなまま子どもを持つため、そのカルマが次世代へと連鎖していっています。

 

これが努力や決意だけでは乗り越えられない大きな壁です。

なぜなら信念や価値観から変わる必要があるからです。

 

被害者と加害者に分け隔てることの無意味さ

よくある子どもを通じてのトラブルは、子ども同士の遊びの果ての怪我。こういうこと一つ一つにおいても親自身が自分の考えや世間とのバランスをいかに持つことが本当の意味で子どもを守ることなのかを理解していなければ出来事にのまれて苦しいばかりです。

 

実際子どもの喧嘩や怪我などのトラブルが起きた時、事実関係を把握することは大事。

 

でも、その事実関係がはっきりした後、その加害者と被害者を真っ二つに分けて、加害者のしたことを「今後一切このようなことがない様に」と加害者側に求め、被害者を守る(この形が定番ですが)というのは、私は一切解決は無いと思います。本当の問題はそこではないです。

 

 

定番である、被害者を含め関係者周辺が加害者側に対して「今後こういったことがないように」といった戒めによってどうなるか?

 

 

加害者であるその子が今後一切こう言うことがないようにと、これに応えようとすると、そのやり方とは親が子どもの行動を常に監視し操作しなければYESと言えない

 

で、逆に今回被害者になった側の子が逆の加害者の立場になることだって有り得るのですよね。それに他の子が、そのようなことをしないか?といったらそれはわからないですよ。

 

 

多くの加害者の方の親は戒めに対して敏感になります。

 

敏感になる程、それを現実化させねばならないと固執します。それでできる試みは具体的には何?というと、

 

『子どもに口すっぱく言い続け躾する、子どもにダメをいうことが増える、子どもを干渉する、子どもへの不満が目につき心配事が増え小言が増える、子どもへの信用を持てなくなる、子どもがちゃんとしていないか常に不安になる‥‥』

 

多くはこういう流れ。

 

子どもに口すっぱく言って聞かせるのも、その中身がなんなのか?によって子どもは本当に学ぶべきものは一切学べません。行動だけ叩いたところで何にもならない。

 

焦って答えを突きつけるやり方は健全ではないです。

 

 

結果的にそれによって、子どもはのびのびとできずにストレスを感じ、人目を気にするように内向的になったり、逆にその反動で悪事を働くようになったりします。

 

だから「問題行動がもうないように」という被害者側からの言葉を真に受けてしまうと、それは本質的な問題から離れ、別の複雑な問題を生むことになってしまいます。

 

もっと自分を信じて子どもの可能性を信じていいわけなんですよね。
不安と恐れを動機に『しなければいけないんだ』と要求するほどうまくいかない。

親は常に緊張し、子も常に緊張しなきゃならない。

 

親自身の愛着問題

おそらく、(親である)〇〇さんは「愛着を感じてはいけない」このような歪んだ信念を持っているのではと思います。

 

子どもの頃、親との間で健全な愛着関係を築き損ねているとこのような信念を持ちやすいです。

 

 

親からあたたかい愛を感じる場面、そのような経験が与えられなかった

親の愛を求めたが拒絶されたり無視された

親にこれまで何をされたわけでもなく、またほっと安心する感覚を得たことはない

親に虐待をされていた

 

 

こういったことから持ちやすい歪んだ信念です。

まだ他にもあると思うのですがまずこれが気にとまります。

 

 

この信念を持っていると、

愛着そのものに違和感を感じたり不安を抱いたり回避したりします。

 

 

そのため、違和感や不安を感じる「愛着」形成に非常に重要な子育てが困難になりやすいです。それに馴染めない、違和感がある、不安がある、つまり、「わからないから余計に管理したくなる」わけですね。「執拗に相手を管理し操作しようとする」のもそう。でも、実践されているように、そうすればそうするほど子どもとの関係も悪くなり、自分との関係も悪くなるのです。

 

怒るのやめたいです。

 

はい。

その怒りは本来子どもに対してのものではありません。

向ける矛先が違うのです。

でもその前にまず、怒りは悪ではありません。

誰もが与えられた大切な感情の一つであり喜びとなんら変わりないものです。

 

 

ただ、怒りの本質を自分自身が分かっていないことが、いつまでも繰り返し怒りの感情に囚われることになるのです。怒りだけ無くそうとしても無駄です。

 

怒りには必ず悲しみという裏意識が存在しています。

 

こんなに怒らなければいけないのは、あまりに言う事を聞かない子供のせいだ、と思う(本当に聞かないのです)。

 

子どもはいうことをきかないくらいが正常です。

なんでも大人の言うことを聞いて、大人の扱いやすい子どもというのは、自分を放棄し自分の心を抑圧しただただ世間体を第一基準に生きる人間になるだけ。

 

長い人生の中の子ども時代です。

この時期に「自分は自分でいいんだ」って思える経験がなくてはこの先どんどん異常が起きてくるのです。

 

でもその(子どもがあまりに言うことを聞かない)状態を作ったのは自分だろうな。だからまず私が改善しないとな、と思う。

 

ウンウン、我が子であっても「自分」じゃないです。
だから我が子を変えようと取り組むことは無理です。

 

だから「自分」しかないんですよね。

でも我が子であるとどうしても、自分の所有物のように錯覚しがちです。

そして「きちんと育てなければ」という思いから、その境界線を持てなくなる。

でも、その「きちんと」が一体何か?なのです。

 

 

「世間を第一優先にした人生を歩んで欲しい。(誰かの奴隷のようにただハイハイって聞いておけばそれなりに楽に生きていけるから)」

 

と子どもに伝えたいのか、

 

それとも
「自分の人生を創造するという喜びを持ち、選択肢を自分でもち自分の責任(=自分の感情から行動、あらゆる選択の結果に対する受容)を持てる自立した人間になって欲しい。」

 

と伝えたいのか。

 

 

前者は極端な言い方に聞こえるかもしれませんが、そういう二択に絞られると思うのです。

 

【オススメ姉妹記事】

「ちゃんとした子育て」こそ苦しみの元

 

しかし、多少態度を変えたところで表面上の事だし、あちらも積み上げてきたものが一朝一夕で変わるわけもなく手強い。

 

そしてその手強さに苛立ち、結局また怒鳴ってしまう。怒鳴り始めた時点で、また堪えられなかった自分に凹み、その感情も怒りに変えてしまう。

 

自分に凹み、それさえも怒りに変えてしまう

本当、親は子どもにどこまでも甘えてますよ、

これは〇〇さんだけに言っているのではないですよ。

親という存在の多くは子どもに対してこういうことをやりがち。

 

 

この行く末、現実の社会問題とは家族間の殺人です。

●参考記事

【家族間の殺人】親が子どもを、子どもが親を、家族間でおきた事件まとめ。

 

 

距離が近い関係というのは感情が暴走したまま平気で相手にぶつけることを何度も繰り返すことが多く、そういう関係が続くことで、受け取る相手にも同じようなカルマを連鎖させ、子ども自身を歪め親子関係がおかしなことになるのです。

 

 

子供の中に自分の嫌な部分を見て、そこにイライラしているような気がします。

これも自分を認められるようにならないと解決しないのかなと思います。

 

 

そうですね。

そのために、向きあっていただきたいポイントを示してみました。

 

怒っていない時は、ママ関係の問題をくよくよ考えて胃が痛く、子供達と過ごす時は怒りで体が痛く、このままでは本当に病気を作ってしまいそうです(怒ったり悪感情でいるとがん細胞が生まれそうな気がしています笑)。

 

あー感情と痛みが関連しているのを実感されているのですね。

そうですね、背中の痛みを起こしているのは肉体面の問題も実は色々とあり、それに対してヒーリングしているのですが、心の問題ももちろんあります。

病気になるのもそういう自分自身からのサインです。意味があるんですよ、その意味を掴むことが必要です。

 

 

これから取り組みをはじめたクライアント様。
焦りはいらないです。焦るほど「しなければならない」に自分が支配されちゃいますからね。だから、焦りが起きるほど「自分が喜びに向かうことは何か」と自分に問うていきましょう。