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老いても元気な体と心のバランス

初っ端、40代後半の老いを認められない女性をテーマに書くつもりでしたが、前ぶりのはずの老年期の話題が意外に長くなりました。

 

「老い」という共通のテーマですが老年期に興味なければスクロールして下の見出しからどうぞ^^

 

さて、先日久しぶりに義母と電話で話をして会話が弾みました。
「かおりさんはまだいいわよ〜私なんかと比べたらまだまだ全然若いんだから〜‼︎ほーんと私なんて、もうヨボヨボばあちゃんになっちゃったんだからさぁ、ほんと、とてもみせられるような体じゃないわぁ〜(大笑)」

 

で、すかさず私は
「またぁ〜‼︎。そりゃお母さんと比べたら”若い”に決まってるじゃないですかぁ(笑笑)‼︎でもそんな私もほんといいおばちゃんですからねぇ〜〜〜、っていうことは、とにかくお互いこうやって元気で年取ってきてるってことですねー!」

 

母の話を聞いていると、ほんとにいつも元気で明るい。ヴァイタリティあって病気はない。おまけに力持ちでなんとも偉大な母なのです。ハツラツと生活を楽しんでおられます。

 

そんな母だからこそ、

「体も心もこんなに元気なのに、目に見えるお肌はこんなにもばーちゃんになっているなんて…」と、自分自身のギャップを感じざるを得ないようです。でもだからといってそれに囚われてはない。愚痴ってガス抜き終了〜って感じ。

 

まぁ、ほんと、特に色白で肌の美しい母。

 

若い頃はそれなりに自分の色白できめ細かな肌の美しさに自己満足していたところはあるはずです。それくらいほんとに綺麗です。

 

そんな母も今では歳を重ね自己満足していた肌もヨボヨボしてきた。それが残念に思えて仕方ないのでしょうね。

 

私なんて、もともと色黒なのもあって自分の肌に対してそのような満足を得たこともない。だからそこらへんは始めからあまり関心がないのでおそらくヨボヨボしてきた頃には母ほどのショックを感じないような気がする。

 

美しかったものほど老いを受け入れがたい、そういう心理状態が人間には起きやすいものかと思うのです。

 

 

私のクライアントさんの最高齢は80歳代です。

その方もつい最近、「まだまだ‼︎って自分で自分に思いを向けるんですよ、老いを認めないぞ!って。ここで認めるとダメだって思っちゃうんですよ」などとおっしゃいました。

 

 

過去バリバリに活動してきた方なのですが、やはりそのような方は自分に鞭打って奮い立たせ、立ち向かって様々なことを成し遂げてきたと言う背景があります。

 

だから、老いを認めると一気に自分が崩れてしまうと恐れている。

 

それで、「まだまだ‼︎」と自分に対して厳しさを向けることで今の自分を保てていると思っていらっしゃいます。

 

これも、先ほどの母の例(美しかったほど老いを認めにくい)と同じで、バリバリに活動してきたからこそ、ユッタリのんびりで OKな状態に自らが持っていけない。これらは似た要素です。

 

やっぱり、

どんなに気持ちが若くて元気いっぱいでも、あるいは母のように肉体的にも心も元気であっても、肌はヨボヨボしてきており老いは老いなのです。老いていく自分を認め受け入れられないことはつまるところ死を避けることであり大変不自然なことで、これに囚われると喜びが減ります。

 

老年期にあたる方ならば

「自分は年寄りなんだ」と自然に思えることも必要です。

 

でも老年期の方で、「早くお迎えが来て欲しい」そればかりでなんの意欲もなく生きておられるご老人もおられます。その方は寝たきりではないです。ですが、毎日お迎えを願って生きている状態だというのです。

 

 

それって現実逃避であり、自殺願望を持ち生きているのと同じです。

 

 

『もういつ迎えがきても十分』

私はそう思えるようになりたいと思います。

 

これは自分の人生を納得してきた上のものです。だから、迎えがこないかと望むこととは違います。全く別物です。

 

もう十分とは全く思えないから、自分の人生に絶望感を抱き、それならばもう嫌だ、早く終わりにしたい、楽になりたい、そういう発想です。

 

 

肉体面にとらわれ過ごしているほどそうなるのです。精神性を豊かにする経験が浅く老年期を過ごすとつらいだけです。だって老いる体にしか求めるものを知らないなんて。。。

 

肉体面は、そうやって老いてはいても、内面的な広がり、内面的強さや穏やかさがあることで、この世でのプラスマイナスのバランスをとれるのです。

 

おばちゃんだと認めたら?

老いに関して何も高齢者に対してだけのことではないです。私も確実におばちゃん度が増しています。アンチエイジング‼︎って張り切るつもりは毛頭ありませんが。でも、シワがない方がいーよなー、と思ったりはします。と同時にこれも致し方ない、とも思っている。そんな心境。

 

 

自分の老いが認められないでいると、どうしても視野が狭く物事を広く捉え見るということが難しい。そんな状態にはなりたくはないです。

 

 

知り合いが、40代後半というのに子どもにおばちゃんと呼ばれるのがすごく嫌だといいます。

 

「いや、あんた確実におばちゃんじゃん」と突っ込んでも、「えーーーー、でもぉーもっとさぁ」と、なんたらかんたらと抵抗します。

 

ふぅ。

 

で、こんな風におばちゃんを認められないでいると歳重ねている実感がないのか、体はおばちゃんなのに、精神年齢が低いままになりがちです。

 

ある40代後半の女性。

「結婚をしたから子どもが欲しい」と。晩婚したのですね。

 

まぁ、結婚したのはそりゃいいですよ別に。
でもね、子供が欲しいはもうなくない?と。もう50代手前ですよ?旦那さんは50歳過ぎてます。

 

 

私は社会状況のことや、また何よりも仮に子どもを妊娠したとしても高齢であることのリスク、万が一妊娠時に障害がわかった時にはあなたはどう判断するんだ?ということ、

 

また子供を産み育てるということは、産んだ後そこから先の長い子育てがその年齢から始まるんだという現実的負担の大きさ‥‥それから実例で、43歳で第2子を出産した人が「第1子と違って相当な肉体的辛さがあった話」などなどを口すっぱく話したのです。

 

そこらへんを理解し認知した、その覚悟の上で言っているのか?という確認です。

 

 

でも彼女は夢見る夢子ちゃんでした。

 

 

「え〜〜〜だってぇ〜〜〜やっぱ女に生まれてきたんだよぉ〜?一生の中で一度は産みたいじゃん〜〜〜」

 

 

(え‥‥)

(もう無理‥‥)

(あんたもう50近いんだよ?‥‥)

(子どもをなんだと思ってんだよ?‥‥ )

(今までこの世の中の何を見て生きてきた訳?‥‥)

 

 

私は一気に引いちゃいました。お願いだからそのような無責任な言葉を発しないで頂きたいと。。。。私は心の底から軽蔑します。

 

『子どもを持ちたい。女に生まれた以上は‥‥』はい。で、あなたの願望を達成したその先ってのがなにもない。でもそれは一つの命をこの世に生み出すという重要な現実であり、【自分の夢を達成したらそれで終わり】じゃないのです。子を産むということは。

 

それじゃ自分のことだけ。

その年齢でそれはないよ?

生み出した子は生きる命ですよ?

 

 

「女である幸せ」=「子を産む」にしちゃったのも、世の中の影響も強いでしょう。

 

 

結婚=幸せ

出産=幸せ

そんな単純な図式はないです。

 

「結婚」「子ども」それによって幸せを得られる。つまり『今が足りないけどそれを得るときっと幸せになる』この発想ではその先、親になった方も生まれてきた子どもも辛い現実が待っていることは間違いないです。

 

今が幸せだから子どもが欲しい。

 

そう思えない限り、子どもに幸せを埋めてもらおうとするんです。与える側にあるべき親がすでに逆転してるのです。

 

「子供を持ちたい」というその動機が「子から幸せを与えてもらいたい」では幸せは成り立たないです。それは欲しい…欲しいと子どもから「奪う」ことです。

 

これから、現実的に非常に【難な時代】に子どもを産もうとしている方に伝えたいのは、「自分が幸せだから子どもにもそんな経験をしてもらいたい」、そう思ってそのことを覚悟してください。

 

はっきりいって、非常に難な今の時代に『生まれるだけでも』ある意味不幸なのですから。それくらい、今の時代は精神的に病んでいるのです。個人が、国が、麻痺し都合の良い人間に操作されて肝心なことは何もわからないまま生きている、そんな状態が「普通」なのですから。

 

 

 

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