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理想を持ち自分に引き寄せようとしている時ほど身体は常に緊張しエネルギー消費する状態。つまり、自分にゆったりとくつろげず、常に「得よう」と動きまわらなきゃならない。これは慢性的な飢餓状態と言えます。

理想を外に求めるほど身体は緊張し萎縮する

心と体のセルフアップサポート専門
吉田かおりです。(私のプロフィールはこちら

 

自分の外に求めるものの多くは、安定、お金、美貌、理想の相手、相手の愛、セックス、仕事、名誉、などなど‥‥。

 

で、特定のそれらを求めても手に入らない…
そのようなとき人は不満や不安や恐怖に覆われますよね。

 

だからその不安や恐怖を逃れるために努力する。理想のそれらを自分に引き寄せようと躍起になる。そういう努力を続けることこそが、慢性的な心身の緊張を生み出します。それゆえに緩まれないというのにそういう努力(理想を追い求める)を続ける。

 

「足りない、自分はこれを得なければ足りない」

 

「それを得なければ自分は望む状態に保てない」

 

だから得よう得ようと動きまわらなければならない。心理的な飢餓状態なんです。それって結局「自分が何者なのか?」という本質的自己を見失っていることが根本的背景にあります。

 

物質的体や、また心のことではない本当の自分。

そういう自分を持てないということは、自分の人生を生きる中で起きることの不満に焦点を当てて、自分自身の不幸についてばかり考えを巡らせるか、あるいは、自分を無視し抑圧し…つまり、不都合なことは全てなかったことのようしてしながら生きていく。

 

 

なぜ、物事を決断することへの不安がつきまとうのか、自分を信頼できないのか、自分に安心してくつろげないのか?

 

なぜ、人を疑い、人に危害を加えられないように注意していたり、人に負けられないと気張っていたりと、そんなことに思いを巡らせているのか。

 

 

それは、自分の内面にあることごとを、これまでずっと抑圧して見て見ぬ振ふりしてきた積み重ねによるものです。

 

恐怖を感じたり、怒りを感じたり、惨めさを感じたり、悲しみを感じたり、そういったあらゆる感情(感情は自分を知る一つのサインであるのに)に対して、無視したり抵抗してきたから。「ない」ようにしてきたから。

 

 

それによって自分の内面との繋がりが断たれていき、喜びを感じるフィーリングを失っていきているのに。

 

「自分」に体験することを「否定」しそのように拒絶していては本当の喜びを体験する機会を失うのは当然なんですよね?「自分」が「ない」んだから。こうやって自分に起きる問題がどんどん複雑化していき、がんじがらめになるんです。ほんとはすごく単純なことだったはずのものが。ひどく複雑化してしまうのは、嘘に嘘を塗り重ねていくことからです。

 

 

自分のことを「穏やかで愛に満ちた人間でなければならない」と思っている人は、自分に怒りを認めることができないです。

 

自分のことを「強い人間でなければならない」と思っている人は、自分の弱さを認めることができないです。

 

そういう自分への思いが自分を摩擦させ緊張を引き起こしています。

 

だから、
【自分のその理想】というものは、実は自分に緊張をもたらせ自分の自由を奪いガチガチに固めてしまうものになることに気づくことですよ。それが自分の内面の存在との繋がりを閉ざし、「本当の自分」を見失う状態になってしまっているでしょう?

 

それがいつまでたっても問題を生み出すことになるんだから。

 

 

人生の中で、そういったことに気づくタイミングは誰だってあります。自分の本当の問題は「そこ」ではなくて「ここ」だったんだ、と気づくタイミング。

 

でも‥‥その傷を明確にするのは誰でも痛いんです。

気分は落ち込み感情が不安定になったりもします。

 

そうすると、これまでの自分の舵を取っていた本当の自分とは違う「エゴである自分」が「なかったことにする」ことをせっせと進めてくるんですね。そういうのが得意なんですよ。自分の中のその存在は、いろんな理由をつけてなかったことにするためのささやきをいくつもしてくる。

 

すると、せっかく表面化されていたものがまた内側に埋もれていく。

 

 

でね、何が言いたいのかというと、

本当に自分のハートが喜び、自分が幸せを実感できる生き方をしたいと本当に望んでいるのか、それとも、そういうことへ向かうのは”痛い”しものすごい努力が必要みたいだし(あなたがいうその努力ってなんだ?)ムリがきそう…、だからそれはしんどいから『今のままでまぁいいか』と望んでいるのか、どっちなのかということ。

 

 

自分が「これは自分の考えだ」と思っていることの多くは自分のものではなく、社会から教え込まれたことごとです。「普通は」「一般的には」「良い人は」「悪い人は」「男は」「女は」「10代は」「20代は」などといったよう、決まった答え、つまり【理想】を教え込まれています。

 

男が悲しんだり泣くことは恥ずかしいことだ。

 

怒ることは社会的によくないことだ。

 

他人に迷惑をかけてはいけないことだ。

 

他人に優しくすることが良いことだ。

 

 

こういったことを淡々と教え込まれてます。

確かに感情的に暴れて自分だけ主義で人を傷つけても自分を主張するというのは問題です。でも、自分自身を、自分の精神を、心を、その持ち主である自分がどうやって関わることが「自分にとって正常」なことなのか、どうやったら自分の喜びや幸せの元で生きていくことができるのか、このようなことは抜きです。

 

大前提に「社会」と「他人」のためです。
こんなのではまともに自分を持つことができるわけない。

 

 

それが自分をちっぽけ化させ、
自分を敵としてしまうことになる。

 

 

そいういうのが「自分の核」になる考えではないんです。核になる自分はそれじゃないんだぞ、ということをまず認めることが本当は必要なんじゃないかってことです。

 

人は強いし弱いし、そう在るものはそう在るんです。

そういう自分への気づきを深めて自分と繋がることでしか、次元をあげることはできません。次元を上げていかなれければ同じところで何やっても同じです。

 

あなたは愚かです。

あなたは立派です。

 

「だからなんだ?!」っていうことです。

 

自分の弱さを誰かに認めて欲しいとき

自分は何かに頼らなければやっていられない…

そういうのは自分の弱さだとは自分でもわかっている…

そんな状態だから、こうなるのは仕方ないことだということを『わかって欲しい』『認めて欲しい』…

 

そのように他人に要求するとき、一番わかってないのは自分自身です。

 

他人に自分の弱さを証明し他人を納得させたいのは、「そんな弱い自分を安心させて欲しい」「そんな弱い自分をなんとか救ってし欲しい」「そんな弱い自分を見捨てないで欲しい」‥‥

 

そのような要求を相手にしています。

 

もっと嫌な言い方をすると、自分の都合の良い答えを相手に押し付けようとしているのです。そして、それに応えてくれる人に出会えばその相手を恐らく救世主のように認識するのでしょう。「優しい人」「救いの人」だと。

 

やっとわかってくれる人に出会った…‼︎

そう安堵するのでしょうか。

 

でも、そういう時にまんまとその人の支配下に置かれるんです。こういう手口で成り立ってる業界ってたくさんある。何年も(あるいは一生)ず〜と通い続けてくれそうな顧客ゲッド‼︎

 

優しい顔をして、そしてあたかも一番の理解者のように見せかける。

はっきりいってそれはとても簡単なことです。

 

「あなたが辛いのはわかるわ‥‥本当に大変なんだね」

「あなたがそうやって何かに頼らなければならないのも当然だよ‥‥、ほんと辛いんだよね。しんどいんだよね‥‥」

「それほどまでに苦しいのならこんなことになっても仕方ないわよね」

 

安心しますか?優しいですか?

苦しんでいる人の気持ちを代弁して寄り添ってくれる偉大な人ですか?

 

 

いいえ違います。

私だってクライアントさんを依存させようと思えばこういうこと言えばいいんでしょうね?ちょろいもんですよ?でもしません。共感すべきものでないものには決して共感しません。でもそれがクライアントさんの否定というわけではないです。

 

 

私は、あなたのその弱さがあることを受け入れているからこそ、外に求めるのではく自分の中にすでにある内面と繋がる必要があると、初めから言っているのです。外に求めても何も得られない変わらない。自分の中にすでにあるのに。そのことをあなた自身が見ようとしない。本人がそれをしないというのならそれまでです。

 

 

まず、自分の苦しみを他人にわかってほしい、こんな弱い自分をわかってほしい‥‥こういう気持ちを抱くような苦悩の最中、誰にも開示できず孤立することは愚かです。

 

でも、「弱い自分だからこうなるのは当然でしょう?そうよね?共感して私を安心させて」という心根で相手と関わりを求めるという場合、それも愚かです。それらは本質的な喜びにつながるものではないです。

 

そういうのに応えてくれる人は、①あなたをコントロールしようという企みを持っているか、②あなたに全く関心を向けていないか、③あるいは同じようなタイプの人間、「共依存関係」になる人間です。

 

三つめの人間は、相手と同じように「そんなあなたを私が救ってあげる」(=救ってあげることで私は価値を見出せる)こういったものを持っています。

そいういう関係を共依存関係と言います。

 

共依存の関係は、相手が自立していく方向になると足を引っ張ります。だって、自立されちゃうと自分の役割や価値を失うから困るのです。

 

つまりこういう相手と関わることでどんどんドツボにはまるというものです。

私は以前こんな記事↓を書きましたが参考までに。

落ち込んだ自分にとって「都合のいい言葉ばかり」を相手に求めて関わるのは、ご都合主義というのです。自分を受け入れてくれる人以外の意見は、受け入れないという考え方は、結局のところ他人への依存度が強過ぎて自分で決断する力がいつまでも育ちません。

 

だから些細なことですぐにへこたれてしまう。
自分が育たない。

 

依存の関係は人には必ず存在します。

誰だって一人では生きてはいられないです。
でも、依存と自立のバランスが崩れてはいけません。
すごく大事です。

相手がなんでも同感してくれるのはあなたに興味がないから

 

 

 

 

 

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自分を大切にする5レッスン