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不安な状況のとき、「どうしてこんなことに?」「なぜ?」というような言葉が心の中にありますね。それについて、答えられない、わからないから不安が増します。
そこで、人の心は不思議な働きをします。

出来事と感情の否定

こんにちは。吉田かおりです。

 

「わからない」ことによる不安を感じるのは苦しい、辛いので、『否認』する、ということが起きます。否認とは、現実に起きていることを”見て見ぬ振りをする”ということと同じ。

 

現実に「自分の目の前に起きていること」を否定し同時に「その現実に対する自分の感情」を否定することです。

 

 

たとえば、
体の疲労感が溜まっていることに気づかない。

 

朝からだるさを感じたり、日中の体の重さを感じはしても、自分自身が疲労しているのは、休養など「何か」が必要なことに気づかない。

 

これも否認しているってこと。

 

本当に必要な休養とは、お酒などの刺激物から離れることでもあり、それをしたくないことから・・・ということであるかもしれません。

 

 

また‥たとえば、
あなたの母親がヒステリーな人だったとします。

 

あなたの友達が家にあそびに来て、自分の部屋で遊んでいたとき、台所から母親がヒステリックな叫び声であなたの名前を呼びつける‥‥。

 

仕方なくあなたは母親のところに行き、そしてまた部屋に戻る。そんなことが数回‥‥。

 

友達は驚いて「あなたの母親すごいね…」。
あなたはなんとか苦笑いでごまかしながらも「恥」の思いに取り憑かれる。

 

その後、遊びに来た友達を「避けたい」という心理がどこかに働きます。あなた自身が問題なのではないのに、「恥」にとらわれ、孤独や脅え、哀れみなどをあなた自身が抱く…。それを感じたくないから「避けたい」という心理が起きてくるんですね。

 

そうやって避けるということが、自分や出来事に対して「否認」していくこと。

 

このような低い意識レベルにあるとき、無意識的な防衛手段をとして現実的に知らその「友達から距離を取る」また、「自分自身を避ける」ようになり、常にびくびく過ごすことになります。

 

 

だから「何も感じない」ようにするための(否認のための)努力が始まるわけ。

 

目の前のことを否認し、そんな「わからない」状況に立つことから「管理したい」という欲求が・・・。

 

あーぁ、もう‥‥この社会そのものの構造と言えるんですけどね。

 

そもそも‥‥

管理したいという思いが生じることは人として自然なことです。自分を見失い、自分の舵が取れずに右往左往するのではなく、自分を管理し人生を自らが切り開くために。

 

つまり、「自分の幸せ」のためです。

 

 

ですが、二つ目にあげた例のように、

他人を支配・管理するだけの欲求であり、それは「何かを避けるため」の試みにしかなっていないのなら、しあわせやよろこびには繋がらない。

 

子どもが「いい子」でいようと努力することは、その家庭の中が明るく楽しいからそうするとか、自分がそうすることでワクワク嬉しいから、という健全な動機ではなく、こういったことを動機にいい子になろうとしている子どもがとても多いのが現状ではないかと思います。

 

あらゆることにすぐ、

「僕が悪いんですごめんなさい」

「私がそれをします(手伝います)」と、

子どもが進んで面倒な仕事をするなどは、自責の念から逃れたいことからです。

 

現実を否認しその上にある「管理欲」は、その状況を強化させてしまう現実を生み出します。

 

助言したり手助けする意味

あらゆる手を使って相手に助言する。

「子どものため」「彼のため」という前提のもと、日々の行動にあれこれ助言し干渉する。

 

その背景に、

相手を信頼できず相手に相手のする行動の責任を”持たせられない”ということがあります。

 

愛している人だから、

大切な人だから‥‥

 

そういった理由で干渉する。

 

これは、間違っています。

 

 

子どもにいつまでも金銭的援助をしてしまう親。

 

子どもの人生に「ああすべきだ、こうすべきだ」と口出しし子どもの人生を管理しようとする親。

 

彼(夫)に過剰に世話を焼く、もっとこうしたほうがいい、ああしたほうがいいと指図ばかりする、など。

 

自分と相手の境界線を持てず、相手に介入し相手をコントロールしようと必死。相手を管理することを望んでいて、その努力を惜しまない、という状況である場合、「状況をよりよくするために」と、どれだけ努力しても、状況は悪化の一途をたどるだけなんですよ。

 

このような「他を管理すること」は自分の幸せにはなり得ない。

 

自分の虚しさのために相手を欲求してるんだから。

自分の虚しさを癒すために相手を利用しているだけだもの。

 

この願望は叶わないですよ。

 

 

自分のために自分で何かを決める。
そして行動に移す。

相手じゃない。

自分で何かをするたびに、自分自身で自分の虚しさを満たしていく必要があります。

 

「恥」にとらわれ、自分について何かを隠してきた人は、自分をもっと豊かに生きることを許可し、そういう方向に流れを変えていくエネルギーが必要です。

 

そのために、これまでやってきた考えを横に置き、そのあまりに「過大で薄っぺらい自己責任」という輪から外れることです。

 

自分が考え、こうしておきさえすれば‥‥と躍起に取り組んできた長年のやり方で自分が幸せになっていない、という現実を認めることです。

 

違うやり方を取り入れるために、自分の本当の回復を求めること、こいういう方向に向かうことが必要なのではないでしょうか。

 

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