不安にとらわれるのは「できること」を知らないから
こんにちは。吉田かおりです。
なんと、私、つい昨日まで右腕を十分に動かすことができず、一昨日までは片麻痺のような状態で右腕を胴体につけてロックした状態になっていた私。10㎝程度しか動かせない右腕だったのです。
先日のブログにもその様子を少し書いていますが、おかげさまで今はすっかり改善しております。昨日からの改善ぶりもすごいなと自分で実感するほどです。
突然の痛みに襲われ利き手が使えなくなり、何をするにも全て左手で過ごすことをした2日間。初日のちょっとおかしい、から昨日の状態までを含めると4日間の出来事。
安静時にも鈍痛があった時は、「きっとこれがピークだろう」と思いきや、なんと翌日はもっとひどかったという‥‥、どこまで落ちるのか?!的な思いも抱きました。
不安にならない理由
今回の私に起きた出来事を通じて、痛みで笑顔さえ難しくなっていた状態の時もありました。あまりに痛みがひどい時、(気持ち的に辛くて泣くというのではなく)痛すぎて泣きもしました。いや、ほんとそれくらい、ドクンドクン痛くて痛くて。。。
でも、そんな状態であっても、一切の不安を持つことはありませんでした。これって過去の自分と比べてみると、本当に変わったなと実感。
過去の私の様子を書いた記事↓
過去の自分だと、心当たりのない腕の痛みに対して不安を増し、どうしてこんなことになるのか、ただただ不安で不安だったでしょうね。できることとは、病院に行って調べてもらうということしかなかったでしょう。
つまり、自分自身は無力で不安になるだけ。
今回こんなことで病院に行こうなんてこれっぽっちも思いませんでした。どれだけ激痛であろうがこんなことで病院に行っても意味がないことを知っているからです。
過去の自分は、自分自身では「何もわからない」、「自分自身では何もできない」、という無力な状態なため、自分の体のことで突然激痛が起きれば、当然わからないことだらけで不安になるしかないのです。何をどうすればいいか?それを知らない。
だから不安になるしかない。
これは過去の私だけではなく、不安を抱き、その不安にとらわれた状態になる時とは、人は同じだと思います。
先日の記事、不安を固定するから痛みや症状から離れられないでこんなことを書きました。
がん保険も売っている保険会社もがんに特化した保険が欧米では「ない」とは!。日本にいたら信じられないと感じるほど、がん保険は現実流行っています。
なんでそんなに流行る(売れる)のか。
不安を煽られてるからですよね。
「がんになるとお金もかかり治療もしてもらえないなんて困るから、がん保険に入っておかなければ」という思考がすでにガッチリと出来上がってしまっていますよね?
何によってそんな思考が固まったのか?
それは主にメディアです。
保険のCM、芸能人のガン死や健康番組などなど。
がんは怖いということを完全に刷り込まれています。
そして死というものをあまりに遠ざけている。
私はもう今ではテレビはほぼ見ていませんが、日々テレビを見ている人は、すっかり騙されている人がほとんどです。
テレビで流れていることは、全く個人を向いた発信などしていません。個人にとって有益だと思わせているだけであり、ほとんどは有益どころか害です。
政治を見れば一目瞭然です。
嘘まみれですよね?
消費税のこと一つとってみても信じられないような嘘まみれじゃないですか。
消費税が5%から8%になった時、安倍総理は「消費税の財源全ては社会保障の充実と安定化に使う」と公言してスタートした増税。でも現実は?嘘ばっかりですよ。なのに今度は10%に??とんでもない話ですよね。
え、テレビと政治は関係ないじゃない?と思います?
そんなわけないですよ、がっつり私たちは法のもとにいるのですから。
自分の居場所を暗闇にしなければいい
まず、わからないことは暗闇と同じで怖いのです。
先ほど政治に少し触れましたが同じこと。
私たち国民には、わかりにくくいかにも難しいことが政治であると思わされ、わざわざ難しくこねくった言い回しばかりするのが政治家です。
そして考えを皆一緒にする教育によって、疑問や考えることから遠ざけられた人々は、無関心になる。無関心になる人が増えれば政治は権力を持った人たちの都合が良いよいうに法改定が進む一方です。
政治に関心がなくても全てはその先に存在してるんだよね‥‥。
食の安全もそのひとつ。
医療もその一つ。
でもなんかどれもよくわからない。無関心。
でも健康においては関心がない人はいない。わからないから慢性不安。
同じなんですね。
真っ暗闇に立てば怖いですよ。
だから不安が増す。
でも、
自分の体に起きていることは必ず何かのサインなのです。
それを、自分自身が「一体何なんだろう?」と意識を向けることさえしなければ、自分に起きていることのその以前までに対して考えたり、様々なことに発想を広げることもできません。
まず、自分を冷静に振り返り『養生する』という人間が持っていた当たり前のことさえ、今の人は忘れてしまっているように思います。すぐ「薬や医者になんとかしてもらわなければ大変だ」という発想になってしまっている。(そういう発想になるように”されて”しまった)
私は今回の突然の激痛で腕をうごかせなくなったことにより、不安は一切ありませんでした。
自分自身の情報を取り、自分に起きていることを理解しました。そうしながら「わからない」という不安を持つことなく過ごせました。不安にとらわれれば、その不安が「現状を手放せない」という結果をもたらすことも知っています。害はそっちです。
不安と戦っている人は「何をすべきかがわかればいい」のです。
自分にできることは必ずあるのです。
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