悲しみや怒りを解消する方法〜許しとは〜
怒りや悲しみが積もり積もると「憎しみ」や「恨み」といった感情へ変わります。今度はそんな悪感情が嫌だから「許すべき」という考えで「許し」に気持ちを切りかえ努力する…、こういう方が多いと思います。でも「許すこと」とは、そうしなくてはいけないからするのではありません。自分の感情をうまく解消するための方法について書いてみました。
怒りや悲しみがあるのに何でもかんでも許す必要はない
こんにちは!吉田かおりです。
「許し」というのは大切な要素であり、自分を癒すためには「許す」ということはたしかに重要になってきます。そして多くの場合、その許す対象は自分ではなく”相手”のことと思います。
でも相手のひどい行為において「許せない」でいる限り、自分のなかの怒りを手放すことができない、という理由から「相手を許そう」、このように許しの対象は相手に向かいます。
そうしなければ自分がしんどいんだから、
だから相手を許そう。
そうしなければいけない。
そんな思いのなか「もう許した」と認識していくと、いう感じ。
でも、それによって自分の怒りが「本当に穏やかに変容していくのか」を改めて考えてみると、本当にそれがベストなやり方????
心の奥底にある違和感が拭えない‥‥。
イライラがちになる‥‥。
急に悲しくて泣きたくなる‥‥。
とか、こんな状態ならば
ほんとうは納得できていないんですよね。
実は、『相手』を許すことに対して優先的にエネルギーを向けると、「もう許している」と主張する『自分』は一向に癒されません。
「怒りはもう解放した、手放せた」
「怒ってなんかいない」
「怒ったって仕方ない」
「あんな相手に意識を向けたところで無意味だ」
はい・・・。でも、それ、「言葉」と「意識」、「頭」だけであって、腹のなかでは別。本当は怒りを抱き続けているでしょう?
このような対処の仕方をしていると、同じ相手に対しても、また違う誰かを通じてでも似たような状況が起きてきますよ。そして、これまでよりももっと不安を増大させたものとして嫌悪感や苛立ち、みじめな気持ちに覆われてしまいます。
「許した」という意識がある以上、そこから自分にとって本当に必要な行動をとることがありません。自分や相手にとって、本質的な成長につながるような関わり方をする展開(行動)を起こすことができません。こんな発想、相当つまんないですよ。偽善的でいい子ちゃんぶってるだけ。
もう一度書きますが、
言葉では許したといいつつも、矛盾した感覚が根底に横たわった状態では、本当は「嫌」ですよね?腑に落ちっこないですよね?
許さなければいけないから許すというのは、こういった状態を生み出し、何の解決にもなりません。逆に自分の心にある怒りや悲しみなどの感情をひどく歪めていくことにもなるんです。だって不自然なことまかり通そうとするのですから、自分の内面は自然に混乱が起きちゃいますよ。
許しは清らか。だから惹かれる
そんな風に自分の混乱を招くにもかかわらず、人は許したがります。やっぱりそれは、自分の否定的感情に囚われてる状態が苦しいから、なんだと思います。
許すことに目を向けてみると、清らかな自分であれるように感じられて一時的に安心感を得ることができますからね。
自分について、
「あの人のことが許せない、許せない、憎い」
こんな状態がイメージされるでしょ?
”ヤダヤダそんな自分って怖い!”
自分を恐ろしい人間だと感じたくないから避けたいと思うのです。
自分について、
「あの人のことはもう許した、もう大丈夫」
こんな状態でイメージできる方が、清らかで建設的で前向きな人間像ですから、そうなりたいと思うのですね。
植物でも太陽の在る方にへ向かって育っていくように、人も明るい方に向かって生きていたいのです。それが本質です。
闇を認めよう
でもですねぇ、
明るい光はやがて日が沈み、必ず闇深まる夜が来ます。そしてまた明るい朝がやってきます。その両方あって自然なことなんです。
両方を認めた上で光に向かっているのが生命の本質です。
自分の闇を認めようとせず、明るい方へといつも右向け右!と方向転換ばかりでは、心の器を本当は広げることができません。闇を認めること、怖いことではありません。ないようにしていることの方が怖いことです。
もし今自分の闇を認めることを想像すると怖いと感じるのは、「隠し続けて避けてきている」から。怖くなんか本当はない。避け続けているから勝手に妄想が膨らんだだけ。
自分を認めること、自分の中にすでにあるものを認め許し、その上では初めて自分が明確になります。
「〇〇のように思わなければ」
「しなければいけないから」
こんな思考は存在しなくなります。
こうすべきだからそうする、というのでは自分の意志で選択する力が弱いのです。「こうした方が自分がより良い自分になれる」、そういう意志のもと自分でそれを選んで行けるようになるために、何度もなんども感情的な葛藤を経験して「こんなところで足掻いていても何にもなんないな」、ということを腑に落とすしかないのですよ。
色んな自分を認める
たとえば、
口調の荒い人、態度のでかい人、図々しい感じの人、声の大きい人、そういう人を見て、な〜〜んともイヤな感じがする。
どうしてか、なんだか、とても苦手だと感じる。
苦手というか、すごく嫌いだと感じる。
そう感じてしまう人があなたの周りにいませんか?
自分の関わりある人で、好き嫌いを感じる人がいるのも…、あって当然のことですよ。でも、その嫌いと感じる相手に対して、その人を見るたびにどうしてかすごく不愉快な気持ちになったり、すごくその嫌いな相手に意識が向かったり、すごくいや〜〜な感じに引っ張られるような時、それは「自分の問題」が「相手を通じて」掘り起こされているってこと。
どうしてか?ものすごく嫌な気持ちになってその相手が気になる‥‥
そんな場合、自分の中にその人との共通点があるものなんです。
「え〜〜!そんなこと絶対ない!!」
と思われたあなた、疑いながらでも自分にその要素が本当に0%なのかじっくりと向き合ってみてください。
こういった状況にあるあなたは、自分の内面にある小さな気持ち、抑え込んだ気持ち、そこに気づいてあげることが重要ですよ。
怒りを悪扱いするのではなく、そんな自分をまずは理解しようと意識を向けます。
なぜこんな怒りが湧いてくるのか?
この怒りは私に何を訴えているのか?
私は何を守ろうとしているのか?
それは本当に守りたいものなのか?
私は本当は何を我慢しているのか?
この怒りはいつから自分の中にあるのか?
自分が抑圧していたものに気づくと、驚くような思い込みがそこにあることを知ります。
その思い込みに気づき、自分を認め、そうし続けることですよ。
そうし続けることが本当の自分を生きるということです。
まず「自分を許す」ということ。相手を許すことを優先するのではなく、自分を許してみてください。どんな自分であっても認める。
怒りや悲しみを解消するためには、まず自分に起こる感情の意図を探り、どんな感情であっても自分にそれがあることを許し、自己受容を深めてみてください。
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