人生楽しみたいのなら後悔で終わらせない。徳の生き方とは
「妻との関係において怒りに身を任せてきてしまった」ということに気づかれたSさん。そして「残ったのは虚しさと後悔」とのことでした。この『後悔』という言葉、色々なご相談の中でよくお聞きします。そのたびに私は、私の価値観をお伝えさせていただいています。
後悔と死と生の関係
こんにちは。吉田かおりです。
私は「後悔」という言葉は、相手、または自分が死んだ場合のみにしか存在しないと思っているのです。
つまり、もう何をどう気づいても、そのことを自分自身が行動することができない、という場合です。
「相手、または自分が死んだ」と書きましたが、でもそのほとんどは、「自分」です。
自分がまだ死んでいないのであれば、その経験を自分の人生に生かすことはできます。
経験の意味を掴みさえすれば、それを【自分の人生に反映させる可能性がある】という視点です。
ですから、私が思う『後悔』というのは、「もう何もできない」、という状況のみにでてくる言葉。つまり死です。
死んでないのなら、何かができ、何かに活かせる。
だから、後悔して悔やみ惜しんで終わるのではなく、「反省」がしっくりくるのです。
死んでないのだから、とにかく活かせばいい。それをするのかしないのか、です。
そういう意味で私は死をごく自然に意識しています。
必ず私は死にます。だから後悔なく生きたいと思うのです。
私に死の恐怖感があるかないかといったら「ある」になるのかと思います。
でも、「だからそれが何」と思います。そうなることが当然のことなので。
肉体は人の本質でなく、今生を生きるために与えられた乗り物のようなものです。魂がその乗り物に入っている間はいっときのことなのです。永遠ではありません。
これがこの世界のサイクルです。だからちゃんとそのことを受け入れ、死を特別視するのではなく、死を自然に受け入れ自分の今あるエネルギーを有効に使わなければ本気で損です。
存在のエネルギーと存在しないエネルギー
自分を誇ることができないどうでもいいプライドや、損得、優劣、勝ち負けといったことにしがみついて自分の本当に望むことがいつまでも見えない世界に身を置くのではなく、
人生は永遠には続かないということ、つまり死を受け入れ今を生きると「生きる」というエネルギーがたくさん入ってきます。だから自分が本当に望むことを察知しやすくなります。
人は生きていると、必ず「生きる」「存在する」「有」というエネルギーを受け取ります。
そのもう一方で「死」「存在しない」「無」というエネルギーも受け取るのです。
生まれた瞬間からそうなっています。
肉体を持った状態では永遠に生きることはできないということです。
つまり、生命は徐々に「存在しない」、「無」のエネルギーを受け取り、それが「100」になった地点で人は死ぬのです。
死を受け入れず、生きることは、死に過剰に恐れを抱き「反発した生き方」になります。
すると、「存在しない」「無」のエネルギーがたくさん入ってきます。「存在、有」のエネルギーが少なくなってしまいます。
あることを認めない生き方、反発した生き方、は有効に生きるためのエネルギーが入りません。
そうなると今の輝きが失われるのですよ。
反発は、いっときは活力あるように見えます。ですが、どうしても反発後、打ちのめされます。
「なんか楽しいことないかな〜なんか日々楽しくないんだよね〜・・・」などといっている場合も同じです。
のんきに待っている場合じゃないですよ。
必ず終わりが来るんですよ??!
待っている間を振り返ってみると何年経ってますか?
今すぐ行動すればいいんです。
楽しいことなんて自分で作れます。
そこに対してもっと積極的になることです。
自分を生きることです!
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