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普通に生きていれば、一定の職業を除いて人の死に触れることは滅多にはありません。

 

その辺歩いていて死体が転がっているとか、ほぼないことですよね。

 

葬儀屋さんや医療関係、警察、消防、自衛隊‥‥、そういった職種をのぞいて、「死体に関わる」ことは生きている中でほとんどないですよ。死はリアルなものとは思えない、そんな錯覚を抱いている人も多いことでしょう。

死はリアリティに欠ける

心と体のセルフアップサポート専門
吉田かおりです。(私のプロフィールはこちら

 

つまりほとんどの人にとって、人の死はかなり遠い。
死のリアリティに欠けたまま、よくわからないから‥怖いから‥嫌だからと、死から背いて見ないようにします。世間は無意識的に「死と距離を取り」、そうやって多くの人は、死を現実的に自分自身に受け入れることから逃げています。

 

 

ある看護師さんが、病院勤務が始まったばかりのころ、最も辛かったのが患者さんの死に対してどういう態度でいれば良いかわからないということだったそうです。またその時期非常にメンタル的にきつかったそうです。

 

亡くなられた患者さんに対して、目の前の「人の死」というものに対して、自分の看護師としての不甲斐なさや辛い気持ちが生じたそうです。

 

すると、先輩看護師は

「別の患者さんの迷惑になるから気に留めてはだめだ」

 

そのように言われたそうです。

 

私はふと、「そもそも看護師として学校で勉強している時に、死について学ばないのか」尋ねると、全くそういう時間はないそうですね。それはそれは、学生生活から社会に出て、突然これまでご縁のなかった「死」に触れるわけですから。受け止め方に困ることでしょう。。だって、世間が死を遠ざけているのですから。

 

先輩看護士の言うように、看護師は患者の死に感情を向けていては確かに仕事になりません。

先輩看護士のいうことはごもっともなのです。

 

看護師としての経験と共に死に対する受け入れができ、そのような発言にいたるのなら望ましいのですが、人の死にどれだけ触れても、死を遠ざけ受け入れられない、怖いから感情を移入させないように無になろうとしている、となるのでは闇を深めるだけです。

 

人の死を目の前に、「自分」「看護師としての不甲斐なさ」を嘆くのは、死を受け止めないからです。それはその人の「死」でもあるし自分にも起こる「死」です。死を恐れ、遠ざけようとばかりするからです。

 

死という偉大な人生の結末を迎えた存在に対して敬意を払い、関わらせていただいた感謝の思いを向けるなど、このように「亡くなられた相手」を受け止めることです。死を恐れるのは死を認めないからです。

実は死と日常的に関わっている

さて、
人の死に限らずとも、牛の死、豚の死、鳥の死、魚の死‥‥、お気付きですか?これらは人が日常的に食べている「食材」です。

 

でも、食べているその食材とは、生き物の死の先のことです。

 

人の死にしても、動物の死にしても、一般的には滅多にお目にかからない「遠いもの」ではなく、また縁起悪い起きてはならないことではなく、当然そこにあるものです。生と死は表裏一体です。

 

それを、死をまるで「感じないようにする」、「あってはならないようにする」からこそ、食材に関して興味も持てずただの空腹を満たす「食べ物」でしかならなくなります。
嫌な言い方ですが私たちが食べる肉や魚は死体です。生きていたものが死に、それを人間は頂いているのです。

 

死を恐れ受け入れず遠ざけることで、本質的なことへの理解が一向に進まない、私はそう思います。

老化という現象

人は生まれたら必ず死にます。

私も死ぬし、あなたも必ず死ぬ。

 

その死を迎える前に、『老化』という様々な現象が起きてきます。

 

その老化の中には、『腰痛』があったり、『五十肩』があるなど、あちこち痛みが起きます。

 

そういう痛みの根源的原因とは、”死を受け入れていないこと”、と言えます。

 

痛みをよくしたい

痛みは嫌だからよくしたい

嫌だ、嫌だ

『よくしたい、よくしたい』

 

この思いの根源が、『死を受け入れないこと』と同義語だという事。

 

 

痛みとは、肉体面だけでなく様々な問題が絡んでいます。そしてそこに必ず感情が絡み、痛みを生じさせています。

 

「嫌だ嫌だ」。この感情は老いというものに対する嫌悪感や、その先にある死を避けたいが避けることなどできない現実認知からの葛藤、あるいは苛立ちなどが無意識的に含まれています。

 

生に執着し、死を避けるその無意識的な内面の状態が、結果的に痛みを手放せない状況を生じさせます。

自分の立ち位置を変える

病気や痛みなどの症状が起きるのはある意味当たり前です。

 

そのようになるよう世間が出来上がっているじゃないですか。

 

病気は怖いもの、辛いもの、苦しいもの、痛みは辛いもの、苦しいもの、嫌なもの…これはそのように思うように仕向けられたか結果です。そういう考えをするから【不安】になって、その不安があるから【薬】を飲んで少しでもよくしようとする。

 

薬ではよくならないのにですよ?

 

何年かこの薬を飲んでいたら、だんだんこうなって、もう何年すると今度はこうなって‥‥と、そっちの流れにはいれば「そうなる」ことがもうスケジュールされてしまったようなものです。

 

 

不安を持つような考え方を植えつけられ、不安を回避するために薬や病院に依存する、という流れができているのです。その世界に自分の立ち位置を置く以上、ずっと不安と共に生きていかなければならないのですよ?

 

 

『病気になるのが当たり前の世界』『痛みは嫌なもの辛いもの』この立ち位置にいいたままよくなりたいと思っても、本当によくはなりません。いっときよくなってもすぐ元に戻るだけ。

 

そうでない考えを持って生きることを選べばいいのです。

 

病気や症状によって『苦しむ』ようには本来なっていません。

 

苦しんで辛くて‥‥、それはそうなるのが当たり前の世界に立っているからです。

 

『病気や症状がある、でもそれがなんだ?自分は自分、自分はその症状があっても自分らしく人生に喜びを感じながら豊かに生きることができる価値ある存在だ。』

 

こういった自分を持ってさえいれば、不安は存在しなくなります。不安に覆われ自分ではどうにもできない、お薬を飲まなければどうにもならない、自分は弱い、自分はちっぽけ、

 

‥‥結局自分を見失っているからなのです。

 

痛みや病気を作り出したのは、人が本質と離れエゴから生じたのです。

 

生に執着し、死を受け入れず
自分というエゴに取り囲まれてるのです。

 

「本当の自分」はそうではないのです。

 

ちゃんと自分が存在する意味を持ってこの世界に生まれたのです。

自分の存在する意味や価値を抱き溢れ‥‥、

だから、生まれたのです。
だから今ここに存在しているのです。

 

 

今の苦しみや不安の位置から離れ、本当の自分をもつだけです。

本当の自分とは、病気や痛みそのものではないのですから。

その自分と共にいることです。

その自分を持たないから、病気や痛みに翻弄され不安になるだけです。

 

 

嫌だ嫌だと症状に抗うのではなく、意識を向けることは「自分をもつことを放棄しないこと」であり、そこに立ち向かい続けることが必要なのです。

 

病気や痛みがある、だから何もできない、だから不幸、だから辛い、と、そこに立つことをやめるだけです。

 

 

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