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「不安」や「心配」とは『恐怖』と同じなのですが、それを抱くことは健全なことです。恐怖は「死への恐れ」から始まります。死への恐れが他のすべての恐れの基盤です。

生命を守るために

心と体のセルフアップサポート専門
吉田かおりです。(私のプロフィールはこちら

 

遠隔ヒーリングで関わらせていただいていているKさんへのアドバイスです。

 

「不安」や「心配」とは『恐怖』と同じなのですが、それを抱くことは健全なことです。

死への恐れが他のすべての恐れの基盤です。

 

 

安易に死に自分を貶めることないよう、自分(生命)を守る、大切にする、そのようなことから恐れが生じます。

 

言い換えると、死の恐怖を乗り越えると大変生きやすくなるということです。

ですから人の本質に気付いていくほど生きやすくなる、ということが起きます。

 

「私は体です」「私は心です」

「私は”それ”です」などなど‥‥

 

こういった限定から、

 

「私には体と心が”ある”」

 

そう気付くことです。
ここら辺のことは、片隅に入れておいてもらえればと思います。

 

そして、たとえば

「人を怖い」と思って過ごしている人は、人の怖い側面しか見ることができません。

 

さらに、人の怖い側面を引き出しもします。

 

そしてさらに、怖いと思うもの を自然に引き寄せていきます。

 

どうやっても思考が現実化されるのです。

 

何が正常で何が異常なのか

「ひとりの生活は不安」その思いがおかしいなんてことはありません。

 

その不安に「翻弄されること」がおかしいのです。

 

何が正常で異常か、その判断を

『この世の中全体を見た視点』から判断すると、

「翻弄され自分を見失い不安になる」のは

正常です。

 

それは、この世の中がそう言う風になっているからです。

 

 

支配者が、人々を不安に貶めるような仕組みがあらゆる角度からすっかりできあがっているからです。

 

人が本来持つ不安を巧みに操り、コントロールしています。

もう何十年も前から。

 

そのため些細なことで不安を抱くように人々はなっているのです。

 

でも、自分軸で、自分の人生として自分に起こることの意味を掴み、責任を持って豊かに喜び幸せに生きていくと言う視点から見ると、「翻弄されていること」は正常ではなく異常です。

 

理解しにくいですかね(笑)

でもここら辺も片隅には入れておいてもらえればと。

 

自分に問う習慣を

社会というものがそのようになっている…その理解と、もう一方で純粋に

不安がない人はいません。

どんなにしっかり者に見えて、幸せそうに見える人でも不安がないことはありません。

 

 

では、不安に囚われていない人と何が違うのか?

 

 

それが、誰でも存在しているその不安を認めているか、認めていないか、です。

認めず「排除」しようとしていることは、不安に囚われる原因になります。

 

不安心に囚われ、体に不調をもたらしているのは不安を排除してほしいからではありません。在るものをあると認め、共存していくこと。

 

全てを統合的に包括していくことでより深いところから力を得て、バランスを取り戻してほしいと体は訴えているのです。

 

 

不安を抱いていたら、自分に問うてみてください。

 

「だからなんだ???」と。

 

そして

 

「自分だけが不安なのではない」

 

「自分だけが苦しいのではない」

 

「なるようになる」(もうこれは神様へお任せの気分がいいかもですね)

 

 

こうして在るものをあると認め、限定されたところから得る力ではなく、全てにつながる部分から力をもらうのです。

 

そのために、やることを見つける。

それすごくいいと思います!

今日も大変長くなりました。

浄化は毎日しております。

 

 

 

 

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