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ありのままの自分を大切に。このような言葉は本などでもよく目にする言葉。でも、この言葉を考えるほど混乱してしまったAさん。それはな〜ぜか?

「気にしない」という意味

こんにちは。吉田かおりです。

ある本を読んでいてこの「ありのままの自分」について混乱してしまったAさん。

 

 

ありのままでいいって‥‥

どう解釈したら良いのか‥‥

 

 

何もしないでいい?ってこと??

自分だけでいいってこと??

 

でもそれって違うかなって‥‥じゃあ一体何?がありのままの自分??

 

 

 

と疑問を話してくれました。

 

 

たとえば職場に超絶(!)に嫌な人がいたとします。
そんなとき、誰かに愚痴をこぼすこともありますよね。
愚痴を話す、あるいは誰かに相談するなど。

 

 

「どこで働いていたってそういう人はいるものよ。気にしないことが一番よ!」

 

などなど、聞いてもらった相手からそのような返事があったとします。

 

 

こうなると、

”気にしてしまう自分が悪いんだ”

とか、

”そう思うことを我慢するしかないんだ”

 

こんな風に思ってしまいがちです。

 

 

ふぅ〜〜う〜〜ん・・・・

 

 

それで気持ちが納得できますか?ということなんですよ。

 

 

 

確かに、確かに、そうなのです。

”気に留める”から悩む。

 

 

だから、”気に留めない”、”スルーする”、このような行動は正解!!

でも、

何が納得できないって、やっぱり「気持ち」なんですよねぇ?!
「感情」が!!!じゃないですか。

 

感情は理性でもってコントロールするもの?

感情を理性でコントロールする、これはYESと言えるようで言えないようで、どっちとも言えます。

 

つまり、そのコントロールとともに起きてくる「行動」になるまでのライン(そこに至るまでの意識のあり方)、に全てはかかっているからです。

 

 

我慢して平常を保つ。

 

このラインで自分の平常を保ったとしても、その場限りです。長続きできないからできるだけやめた方がいいです。平常を保つ、という「演技」をしているだけに過ぎないから。

 

 

では、無理くりではなく自分をコントロールするには、自分の体と心の舵をとるには、どういうライン(意識のあり方)が重要なのでしょうか。

 

 

「どこで働いていたってそういう人はいるものよ。気にしないことが一番よ!」

 

 

はい、まずこれは確かに。
事実ですね。

 

 

どこに行ったって、変な人!とか嫌な人!とか苦手な人、と感じるような相手に出会うこともあるでしょう。

 

 

だからそのような相手に対して「気に留める」ことが自分にとって幸せなことなのかそうでないことなのか、を考えてみればはっきりと、気に留めない、スルーする方がいいに決まっているということは頭でちゃーんと理解できます。よね?!

 

 

でも、頭で理解できても「感情」が納得していないまま「スルーする、気に留めない」という行動に移したところで、タイムラグを生じさせて後になってそのことを思い出してはイライラしちゃいますよ。

 

で、フラストレーションが増すだけ。
もうそんなことは何度もなんども経験されてきていることと思います。

 

 

自分のためになってないです。
そのやり方。

 

 

つまり「同じ行動」であっても、
形だけのものは意味がないです。

 

 

フラストレーションを生じさせ続けるパターンはまさに、”ありのままの自分”を許さない行為の結果です。だから違いのある相手も認められない。

 

 

感情は一つのサインですよ

ありのままの自分を確立させるための情報源です。

「中身のない理性」はなんの役にも立ちません。

そして、理性だけで判断するということには限界があります。

木を見て森を見ずの状態になりかねないものですから。

 

「スルーする」ことと「気にとめること」この区別を間違わない

スルーすればいいことに対して気に留めて気をもむ。

気に留めるべきことに対してスルーする。

こんなパターンが起きてしまってるんですよ。

 

まずですね、

関心を向けるのは自分です。

 

自分に関心を向けずに相手に関心を向けていることで「感情の抑圧」「が・ま・ん」が起きているんでしょ?

 

相手に関心を向けてると、「なんであの人ってああなんだ、あの人がああだからこうなるんじゃない」といったような、自分と違いのある相手への苛立ちとかいくらでも出てくる。

 

一旦それを生じさせて、それに対して中身のない形だけの理性が「気にしてはいけない、スルーしなければ」と、我慢で感情を抑えて、平常を維持する、のが…あちゃー( ´Д`)なライン、頭でっかちの苦しいラインです。

 

結局これが”スルーできない”という現状を起こしてます。

つまり、感情が荒れるんですよね。

相手に関心を向けているから。

 

 

そんな荒れた感情をグッと我慢して平常を保ち、気にしてないような演技をしたとしても、無理ですって、ホント、くるしーーーぃ!!!

 

たとえその時、ぐっと我慢した感はなく、「うまく平常心を保てた!(成功した!)」と感じたとしても、後になってイライラして誰かに八つ当たりしたくなっていたり、あるいはその後に同じような場面の時、瞬時にイラッ!!と瞬間湯沸かし器状態を起こしたり…であれば、このやり方では”うまくいかなかった”という結果として受け取ることですよ。

 

つまりこのような抑圧の反動は、どこかに起きるのです。

 

「我慢」「が・ま・ん」ってそういうものです。

 

気に留めることとは、相手ではなく自分なのです。

相手がどうあろうがそこは本気で関係ないんですよ、とにかくまずは自分!!

 

自分の状態をよりよく保っていくために、ちゃんと自分を気に留めて、自分のあり方を自分自身で選ぶ必要があるのです。

 

行動 行動 行動!!!

 

中身のない理性で自分をコントロールしようとしても、自己成長には繋がりません。だって本当に自分の舵を取れていないから。

 

本当に自分の舵をとる、というのは必須条件!「自分に関心を向けている」ことです。

だから、相手がどうであれそこに作用され巻き込まれることが激減していきます。

 

相手のやっていることにどうしても納得ができない、といった場面にいたとします。

 

 

確かにあなたの言い分は絶対に正しい!!

 

いたって常識的で正論で間違いない!!!!

 

中立的な位置に立って、あなたと相手を比べた時、確かにあなたの言い分が正しいと誰もが口を揃えていう、それくらい相手のやっていることが”おかしなこと”だったとします。

 

そのような時、そのあまりにもおかしなことをやる相手に対して「スルーする」ということは、『自分がとる言動に対して自分自身が望む在り方を選び行動する』ということです。

 

その具体例として、

 

「相手はそれをやっていても何の疑問もない、そういう世界観を持っている人なのだな」と認識して関わりを持たず、自分の世界観と相手の世界観の違いがあるということを静かに受け入れる。

 

ということかもしれません。

 

でもこれは、
たとえば子育てにおいて、我が子のやっていることが一線を超えるようなもの、(命に関わるようなこと、とか、犯罪になるようなこと)であったとしたら、このような認識の仕方をするのは間違ってます。つまり、怖気付き相手が不幸になろうが自分には関係なし、見なかったことにしよう的なのと同じ。

 

特に子育てにおいてはこの一線はどこにあるのかを見極めることはとても大切です。

 

この一線を、かな〜〜〜り低〜〜い位置に設定してしまうから、どうでもいい細々したことに対して一挙手一投足子どもに口出しする、というような構造になるのです。

子どもだからこそ大変重要な経験である自由な自己表現を奪い、不安を元に大人(支配者)の指示に従うことが最も重要だという人間が作られるのです。

 

だから、

自分が自分に納得して”スルー”できることが必要なのです。

 

そのために、関心を向けるのは自分。

そのために必要なのは行動です。

 

あなたが絶対に正しい、相手が相当におかしい、誰が見てもそうだ、というような現状ですべきことは、もしかすると、【そんな相手に関わりをもつ】という場合もあります。

 

でも、間違いなく自分の中心に持っておくべきことは

 

相手を変えようとしない。

自分には自分の主張があるように、相手には相手の主張があることを認めることなのです。

 

スルーする、というのは「何もしない」、ということだけではありません。「必要な行動をとること」でもあり、その行動によって初めて『自分が相手をスルーする』ことが自分の納得したものとなる場合も含むのです。

 

ここが腑に落ちないうちに『スルーしている(関わらない)』ばかりだと、結局同じ感情に追い回されるのです。

 

食い違いのある相手と関わる時

 

さて、スルーすべきことと気にとめることを自分が納得できるために、相手と関わりを持ってみたとします。そうしたら‥‥その関係の中で、感情がヒートしてしまうことも起きるかもしれません。

 

でも、それが悪いことではないですよ。

 

関わる相手の不幸が先読みできるような状況とか、ただ自分の守りに入り何も言わない、あるいは、偽善者ぶって、相手には相手の世界観があるのだから私と違って当然、と相手の悪行為を黙って容認する、これらが悪であり愚者です。

 

その相手と自分がどういう関係性なのか、
それによってその人との関わりを「するのか、しないのか」、を自分の秤に持てば良いと思います。

 

「自分の秤」とは、その後それに関して相手に”何もしない”でスルーしても、『自分の感情的に納得がいくもの』であるのなら十分なことのはずです。我慢にならない。

 

”何もしないままスルーする”のでは、『感情的に納得がいかない!』ものならば、それは相手とそれについて関わってみればいいってことですよ!!

 

その時、相手に関心を向けて関わっていけば、新たに感情が増幅されます。しかもそのセカンダリーフィーリングは、本質的なものとは別個のものです。そうなると、相手を批判し責めることだけで終わってしまうのですね。

 

だから、自分に関心を向け続ける!!!

ここに気を留めるのです。

 

でも!

でもーーー!

でもーーーーー(泣)!!!

 

そうはいっても完璧じゃないのが人間。

感情が行きすぎることだって起きるかもしれない。
(そりゃ人間なんだからあるんだよ!)

 

セカンダリーフィーリングによって取り乱し、ただ相手を責めることしかできない自分になっていることもあるかもしれませんーーー。

 

(もっかい、、)

「でもーー!!!」

 

それだけ悪感情やら何やらぶちまけてしまえば、その後、自分が一体どうすべきか、が見えてきます。見えてくるんです!!自分に関心を向けるということを、自分の本質を大切にするということを持っている人なら!持ってないのかも…と思うのであれば今すぐ持てばいいだけです!難しいことじゃない。

 

自分にとって自分が喜び幸せに繋がるためには何をすべきか、何をすべきでないか、それが見えてくるのです。

 

だから、取り乱したりとどんなことになろうが、自分に関心を向け続けていれば、自分に戻れる!

 

ありのままの自分とは、戻れる自分を持っていることとも言えます。

 

失態をやらかし、もうこんな関わり方をするくらいなら自分の気持ちは我慢して平常を演技で過ごした方がマシだ!!などと思う人は『自分がない』からです。

 

自分を放棄して責任をとることをやめている状態です。

「ありのままの自分」そんな理解が到底できないでしょう。理解しそれを掴んでいこうとすることを放棄しているのですから。

 

「ありのままの自分」とは、自分が何を感じどうしたいか、どうしていきたいか、それを他人基準でなく『自分を軸』に持っていることです。
それは自分の喜びや幸せに繋がるためにです。

 

ありのままの自分を掴んでいきたい、そう思うのであれば思うだけではなく、行動に反映させていくことです!

 

 

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