yoshida-kaori.com

人と深く関わらなければ問題も起きないから『楽』でいい。
本当はこうしたいと言う思いを何度も抱くけれども、どうしたらいいか考えるのがめんどくさいからこのままが『楽』でいいや、と思って何もしない。

楽なことって、そんな感じだと思います。

でもそれは、「目の前のこと」、それしかなく、自分のもっと先の未来に向けての楽しみとか希望とかそういった前向きさに欠けているのです。

 

情熱があるからこそ失敗してもまたやりたいと思う

心と体のセルフアップサポート専門
吉田かおりです。(私のプロフィールはこちら

 

はじめに子育てを例にしますが、
子どもが自分で靴紐を結べるようになるためには、子ども自身が最もそのことに興味を持ち始めた時に、子どもにそれを体験させてあげること。大事なことです。

 

靴紐結べるようになりたい!!!
そう興味を向けた子どもは情熱的意欲的です。

 

 

でも実際の行動は、指先がさっさと動かない、なかなかうまくいかない‥‥そんな感じ。

 

で、見ている大人は早くして…時間がない、と思う。

で、子ども本人もうまくいかずにぐずる。

 

こーなるのが面倒なのよ、とその経験を鼻からさせない親だったら‥‥。親の都合に合わせて面倒なことを省くでしょ。子どもの情熱や意欲を奪うんですよね。

 

意欲があるからこそ何度失敗しても、楽しめるのに。

その経験をさせない。

 

自分(親)が楽をしたいがために、子どもが犠牲になってるんです。すぐ目の前の、目先の楽のためにとる行動ってこういうことです。

 

でもそれはもう少し先の自分に跳ね返ってくるんですよ。

 

いつまでも子どもが自立できない。

いつまでも手をかけていかなければならない。

 

結果、楽じゃない。

結果、子ども親も幸せから遠ざかっちゃう‥‥。

 

子育てを例にしましたが、楽なこととはその場の一瞬はそうであっても、トータル的に見るとちっとも幸せには繋がらない、と言うことが多いわけなんだな。

 

人は人と関わることで自分を知る

 

人間関係でたとえるなら、
人との距離を持つことは必要なことですし、誰とでも全ての人と仲良くオープンに親しい関係になることも無理です。

 

「人間関係がゴタゴタするのがいやだから、深入りはせず誰にでも当たり障りのないような付き合い方しかしない。その方が楽だから‥‥。」

 

はい、確かにゴタゴタが起きないでしょうしそういった意味では楽ですよね。

楽だけど、じゃあ、そんなあなたは、「日々を楽しめている!日々が充実している!」そう言えるか?なんですね。

 

そう思えないのなら、トラブルを避けることを重点に起きすぎ、人との関わりが気薄となり、楽しむ自分って忘れてませんか?

 

人は、必ず誰かに依存しながら生きているものです。一人だけで生きている、という人はいません。そういった意味から、人と関わる中で自分を知ることができます。生きることは、自己表現をすること。

 

「一人ならうまくいくのに誰が他人がいるとうまくいかない」、などというのは本当の自分ではないです。つまんないですよそれって。

 

自分の内面に向き合い、これが「本当の自分」というものを掴んでいるのであれば、不安や恐れに振り回されることはありません。「楽」に流れるのではなく、立ち向かう力、その強さが人間必要だってことです。

 

何度も引っかかっていることはあなたの課題

 

カルマは反作用をもたらすタイミングを現世、また来世で待っていて、そのカルマの数に応じて何度も生を受けるといいます。

 

だから今ここに生きているあなたは、何らかのカルマを持っておりそのカルマを越えるために生まれてきた、という意味ですね。

 

何かの課題を自らもち

それをクリアしようと今生にチャレンジしにきた。

 

ほぉ〜〜!!

 

そうなんですよ。

 

みんな今ここに存在している人は、「自分の課題を決めてこの物質という固定された限りある世界の中でもう一度チャレンジしてみよう」と決意され輪廻してきた勇気ある魂の持ち主たちなのです。

 

 

でも!!!!!

 

いざこの世に生まれてみると、ほとんどの人は楽チンなことを選びたいと思っちゃう。効率や便利さ、快適であることを多くに求めはじめます。それが目の前のことだけにもかかわらず‥‥。

 

そうやって毎日を楽に、楽に、と過ごしていくことで、何かに立ち向かっていく!といった探究心、前向きな力、はどんどんと失われていきます。靴紐結べるようになりたい!!というようなワクワク感、がなくなっていくのです。

 

ケーキを食べて幸せ!だけではない高度な幸せとは

はっきりした記憶がないのでさらっとした記憶を元に書きますが、ある脳科学者の本の中に、”快感”とは「現実と期待値の差」であるということでした。

 

例えば同じ収入でも「思っていたよりも多額だった」ほうが嬉しいもの。

 

そんな風に、何かにおいて私たち人は様々なことを予測しながら生きています。

 

美味しいものを食べて幸せ!などというのは

「本能的快楽」であって、報酬系の脳部位が関与しているものです。

 

一方、もっと「高度な幸福」を感じる時は
大脳皮質、特に前頭葉系の脳部位が関与しています。

 

 

結果を求める傾向が強すぎる在り方は、

勝ち負けにこだわり、そのプロセスを楽しむことが出来ず快楽(喜びの度合い)が減ります。”結果を求める傾向”、とは、自分の思う通りに相手を動かそうとすることもそうですし、何もしないでトラブルを避けようとしていることも同じです。

 

今を楽しむという感性がない。

 

だから幸福って快楽的なものにしかないと思ってしまう。

 

快楽的な幸福を求めすぎると脳の報酬系が活発になり、その活動に先導されるとどうなるかというと‥‥

 

「本来ならとらない行動をする」。

 

本に紹介されていたネズミの実験についてですが、ネズミは暗く狭い場所を好みます。明るく開けた高所などはまず行かない生き物。

 

なのに、実験でネズミの脳の報酬系に電気刺激をしながら誘導すると、スイスイと細い高架橋を渡ってしまうというのです。

 

まるでネズミの曲芸ですよ。

 

これは、人も同じ。

幸福に対する価値を歪めてしまうと危険な行動になり兼ねないということです。

 

つまり、五感から得るその感覚刺激だけを頼りにして自分の幸福を求めることは愚かなのです。(ケーキ食べて幸せ♪って思ってもいいんですよ。でも本質的な幸せはそこじゃないということです。)この行き過ぎがドラッグやアルコール中毒になるわけでしょ。

 

フィーリングを感じる

自らから生まれるフィーリングに従って幸福を求めるんですよ。

純粋に子どもが靴紐結べるようになりたい!とワクワクしているあの感じ。

ワクワクするのは「頭」ですか?

 

いやいや、それはないですよね。
胸、ですよ、ハート。

 

ハートは愛!

臓器の心臓ではなく光り放つ輝いたハートです。

 

この輝きを覆ってしまいハートが石ころのように硬く小さくなってしまうからワクワクしなくなってるいるのです。頭ばかり使っているからなんだよー。

 

五感の刺激を通じてのみ得られる限定された幸せではなく、より高度で強い幸福、それを実感していくことは、自らを縛っていた「無行動」に対して行動を起こすきっかけになるから!

 

無行動の人は、思考(頭)ばかりが忙しく、実際の行動が「ない」状態。
グナの中でもタマスの要素(不活発・停滞・消極)に偏っています。

 

そういった人が最も恐れているのは、人と争うこと、人に意志表示すること、自己表現です。つまり、生きることへの恐れが強すぎるのです。それじゃ生きづらいよ・・・。

 

カルマヨーガは義務についても示しています。

 

自分に抵抗するだけの力があってそれをしないのなら、それは立派な愛の行為である。しかし、ただ自分が傷つくことに怖気づき、何もしないというのは実は非常に攻撃的である、と言います。

 

行動を起こすことでしか経験はならず、その行動のためにも心の働きがいかなるものなのか、自分で気づいていかなければ成長もないのです。

 

このままではいけないと思い続けいているあなたへ、

自分を探求してみませんか!?

 
【オススメ姉妹記事】

問題視することが問題を生んでるだけ

 

 

 

●吉田かおり書籍サイト●
Yoga salashanti book’s 
ヨーガ的生き方はあなたに力を与えてくれます。
「変わりたいのに変われない」
「自分らしさってなんだろう」
そんなあなたにオススメの1冊。
↓↓↓

ヨーガの落とし穴 ~そこで学んだもの~

アマゾンKindle版

一目置かれる「自分センス」の磨き方
〜「カッコいい」女性でありたいあなたへ〜