自分に厳しい人は愛と優しさが必要
自分に厳しく人に甘い、自分にも人にも厳しい‥‥う〜〜ん、こういうのってキツイ状況ですよね?自分でいっぱい色んなジャッジをしてて自分を律しているつもりなのでしょうが、結果的には周りも迷惑かけてたりしちゃっていませんか?
まだ足りない。絶対まだ足りない。。。
こんにちは。吉田かおりです。
自分に厳しい人はとにかく目標が高い。その目標ってのが、あえて『掲げた目標』じゃないから本人が意識しにくい。自分の厳しさゆえに自分の首を占めていることに気づけない。
それが、何をするにでもどんなことするにも、
「これじゃまだだ」と満足しない人です。
仕事であれば、一人で抱え込んで「もっとちゃんとした状態でなければ‥‥!」と仕事の途中経過がうまく報告できない、とか。これ、結果的に周りは迷惑です。
プライドが高く、自分の中の決め事が多いんですよ。
高すぎるハードルがいっぱいある。
そのプライドは自分を誇りに思えるようなものではなく、 『人によく見られたい』『人より負けられない』『舐められるわけにはいかない‥‥』外ヅラ厚くなるものばかり。ほんとは要らないやつ、なんですよね。
ハードルの低いことをジャンジャンこなそう
自分の揺らぎない信念を見つけてみることですよね。
他人に負けられん!
舐められるもんか!
という考え方から自分を主張しようとすると確実に幸せ減ります。
たとえば、
こういう考えのもと子どもを怒る人は、ほんとに破茶滅茶です。
散々怒って、早く宿題しなさい!なんでできないの!ここ違うでしょう!ちゃんとしなさい!いうこと聞きなさい!キーキー!ウキーー!!(まるで猿)
もうキリなくうるさい。
なのに!!自分の都合で言い分をコロリと変えます。
あれだけ怒っていたくせに、自分の都合次第で「仕方ない、もういい」とかって許す。
(早業だねっ!!)
あちゃーほんと一貫性がない。
そりゃそうだ、もともと一貫性が持てるような思考をしていませんもの。
自分がないんです。自分がないのに「譲らない!!!」っと”空洞の自分”にしがみついてる状態。ほんとは相手にしがみついてるんですけどね。
そもそも相手を支配しようとする関わり方が不自然(本来無理、自然に反する)なこと。そういう関わりは、相手が子どもであれば「自分を屈して大人の言いなりになるしかない」と思わせてしまうんですよ。
(相手の意識レベルが高ければ全くもって、そんな支配的ゲス人間に巻き込まれないのですが、子どもの場合は大変な誤解(子ども自身が自分に対する価値観を歪めてしまう)になります)
負けたら終わり!勝ってなんぼ!
いろんな視点から振り返っても、これがあなたの揺らぎない信念だというのならそれはそれで別にいいんですよ。
でも、そうではないのならもっと自然体で喜びに繋がる自分を持つことです。
そうしたら、
”ほんとうに譲らない自分”
”揺らぎない自分”
これが何なのかが掴めてきますから。
「揺らぎない自分育て」のための行動とは
日々の生活の中で『自分が自分との約束を守ること』に注目すると、すごいいいことが得られます!
自分が自分に決めた約束。
それを「確実」に守り続けること!
これです!!
「今日はそんな気分じゃないからちょっとやめておこう」
とかね、そんなのダメですょ。
ぬるいぞょ。
軽いぞょ。
『確実に』じゃ〜〜〜!!!
・・・え!
厳しいですか??
それは、あなたが厳しいからそう思うんですよ。
”確実に自分が毎日実践できること”
にすればいいんですよー。
だから、ハードルを下げてみればいいの。
確実に毎日やる、だなんて‥‥そんなの無理な時もあるかもしれない‥‥と、思う「こと」であれば、さっさとハードル下げて別の「こと」にしてみてください。
とにかく行動。
行動にすること、自分の実体験を積むことが大事です。
思いだけで行動に移せない人は何やっても同じですから。
行動にならない”思い”があるのはなぜか?
それは、「ほんとーうに」求めてないからです。
思いは現実化しますから。
表面の思いと深層の思いとが違っていたら、深層部の思いが現実となります。
自分の決めたテーマ、毎日取り組むこと、それにふさわしいのは‥‥と、”新たなこと”を探すのも良いですが、そうではなく、日々自分がすでに習慣のように行なっていることを、「意識化」して新たな視点を持ってすでに日々行なっているそれをテーマにするのもいいですよ。
たとえば洗濯物たたみ。
多くの人は毎日やりますよね。
たたむとき、”とにかく義務的に急いでサッサとすませる”ようにされているかもしれません。
その洗濯たたみをテーマにする!!
つまり、視点を変えるんです。
「毎日私、ちゃんと洗濯たたんでエライぞ〜^^」と。
私はもう何年も洗濯物をたたむ時に、
「折り目のラインをス〜と入れて、丁寧にたたむこと」
を自分との約束にしています。
たかが洗濯たたみ。
たかが折り目。
でも、意識して自分がどんな気持ちで行為しているかで、価値は確実に変わります。
義務で当然でただやらなければならないから行う、という右から左にサーーーーーと流れるような時間だったことが、全く別物になります。
自分との約束守っている
私っていい感じ
偉いぞぉ
すると‥‥
気持ちが優しくなる
自分が愛おしくなる
畳むことが苦じゃなくなる
幸せな気分になる
洗濯のたたみ方もうまくなる!
自己受容するからこそ自己肯定感が高まり喜びと繋がるんです。
『自分との約束を毎日確実に守る』ということが目標です!
「こんなことをテーマにするなんて‥‥軽すぎじゃない?」
「だってこんなことできて当たり前じゃない?」
そう思ってしまうようなことを選ぶでいいんですよ。
毎日必ずすでにやっていることをテーマに上げる。
義務で行為するばかりでは楽しくないです。
意識化し、自分を認める視点はいくらでも持てるのです。
その経験を積み、ぜひ思考の柔軟性をつけてください。
そうすると、新たなことを習慣として取り入れていくこともスムーズになります。
「厳しい人」と「厳しさのある人」は全然違う
自分に厳しい人は、やっぱり損だと思うことを最後にまとめます。
「厳しい」という言葉、それを人がまとっていると”近寄りがたい雰囲気”を周囲は感じます。
硬くて近寄れない。
柔軟性がないんです。
負けてなるものか、舐められてなるものか、とギャンギャン吠える犬やウキー!の猿のような感じだったり、何を言っても受け入れないカチカチな感じだったり。
自分にも相手にも厳しく、いろんな規制を設けている。自分に設けた規制を他人が崩していたら、もう許せない気持ちでガッチガチ。だから他人を支配する欲、管理欲が溢れる。
側から見た「厳しい人」とはそんな様子。
でも「厳しさ」となるとちょっと違って、”自分を持っている人”という感じになる。
「厳しさを持っている人」は相手と支配的に関わらず、管理しようとしない。その中で自分を持っている人、そう感じます。つまり、自分の譲らない信念を持っていてそれを大切にできる人です。
同じ「厳」という言葉でも、なんかイメージ違うものだなあとこのテーマで書きながら気づきました。
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