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自分が死んだらどうしようとか、親が死んでしまったらどうしよう、など『死についての不安や恐れ』を漠然的に抱いている人は死が怖いものだと強く強く思っています。私は死について学ぶことはとても大切なことだと思います。だって100%人は死ぬのですから。だから、死についての考え方を学ぶことは精神性を学ぶことです。

肉体と精神

こんにちは。吉田かおりです。

 

「肉体と精神」その言葉だけでの認識はあっても、その精神世界についてを認めなければ死の不安や恐れから解放されない、だから大変重要なことだと思ってます。

 

老いたくない(死にたくない)、
こういったことから物質性に執着するわけだから

 

もうちょっと具体的に表現するとこうなっちゃう↓。

 

私っていつまでも若くて美肌!
目標?もちろんアンチエイジング!

 

俺っていつまでもオトコ!!セックス最高!!
目標?もちろん女にモテる!

 

で、自分を着飾り自分を若々しくみせるためのことに執着する。

いいおじいさんになってもバイアグラ飲むまでして俺はまだまだいける!!と性に執着する。

 

こういった現れはまさに死の恐怖との表裏一体じゃない?ってこと。

死の恐怖から解放されることで人は「今」が大変豊かに生きることができると思っています。

 

負け試合だとわかって挑むようなもの

死んだら物質ではない世界に行くからホント自由だわ〜〜!それはまた楽しみだわ〜!って思えるのなら不安や恐れはないのですよね、単純に。

 

死んだら全て終わりで何もかもなくなって無の世界に迷い込んでしまう‥‥

それ以外の考えがなく、きっと↑こうなんだ、と信じているととても恐ろしい感じですよ。

 

ヤダヤダ死にたくない!
ずっと生きていたい!という発想はこういったところからですよね。

 

 

で、「ずっと生きていたい!目指すは不老不死!」ってなる。もぅ〜それこそ生き地獄体験の始まりでしょ?どう考えても絶望的経験にしかならないじゃない。

 

だって確実に死ぬのに。
現実もう歳食ってきてんのにね。

 

いつまでも若さを求めてずっと生きていたいだなんて、どう考えても完全ノックアウト。確実に老いてきているし確実に死に近づいているのだからさあ。

 

ね、

これが現実ですよ。

 

負け試合だとわかっているのに絶対勝つって意気込みだけはすごいっていう感じと同じ。最後まで諦めない精神はスポーツ、試合には必要ですけど、人生は試合じゃないでしょ。

 

何でもかんでも張り切って夢希望を抱き続けるばかりでは生に執着してしまうことになります。だから現実とのバランスが必要なのです。もう自分はこれで十分、もうこれ以上は望まない、もう十分やり遂げた、こういったことが年齢とともに得られるようになることは人が死を迎えるにあたる差となるのです。

 

体も心もただの道具なのだ

死ぬのは絶望的で苦しみで怖いこと、恐ろしいこと 。
何もない無の世界に迷い込んでしまう。
真っ暗闇で何もない無の世界に迷宮入り・・・・・

 

ひゅぅぅ・・・・怖い怖い。

こういったことを信じていたら確かに怖いですなぁ。

 

生きている間に「物質であるこの体が全て」と信じていると、この思考が成り立ちやすいです。つまり、物質しか認めないのでどうしても執着してしまう。なんで執着するか。それはさっきから書いてますけどね、物質が永遠ではないことを知っているからです。

 

でも自分の本質とは老い朽ちてやがてはなくなる肉体ではないのです。

 

人の本質は永遠の存在であり魂です。
ヨガではそれをアートマンと言います。アートマン(魂)はブラフマン(宇宙の根源、神)から生まれました。だから魂は自分の本質であり、自分の中の神だということです。

 

だから、肉体はこの世を体験するための道具でしかないということなのです。

心もこの世を体験するための道具でしかないのです。

 

”道具”ですよ!

なのに、その道具である肉体や心が自分の本質だと思い込んでいるわけですから。

 

そりゃ混乱がおきますよ。

 

それはただの道具です。

 

自分が何かに翻弄されて辛い状況があるのなら、本質でないものを本質だと思っていることからです。もうこの一言に尽きるのです。

 

無知(無明)とは、無常を常、不浄を浄、苦を楽、自己ならざるものを自己とみなすことである。

(中略)

〈自己〉とは何か?そして〈自己〉ならざるものとは何か?〈自己〉は、永遠で不変の〈もの〉である。それは、常に、至るところに、根本的実在としてある。すべてのものは本当は〈自己〉以外の何ものでもないのだが、われわれはそれを、無知の中で、さまざまに異なった対象(もの)として見ている。そのようにわれわれは、変化の結果である外貌(あらわれ)を、変わらぬ実在とみなすことに慣れている。どんなものであろうとも、もしそれが変化するのであれば、それは〈自己〉ではあり得ない。たとえばわれわれのこの身体にしたところで、それは刻々と変化している。なのにわれわれはそれを〈自分=自己〉とみなして、「私はお腹が空いた」とか、「私はちびっこだ」とか、「私は黒人だ」とか、「私は白人だ」という言い方をする。それらはすべて、身体の状況や特性に過ぎないのに・・・。「私は身体が痛い」と言うときは、「身体が自分に属すのであって、自分がそれなのではない」という意味を含んでいるから、わずかながら真実に触れている・・・。

 

悲しいかな、われわれはさらに、「私はひどい病気だ」などと付け加えてしまう。本当は誰が病気なのか?もし身体が痛むのなら、身体が病気なのであって、あなたがではない。この真理を忘れるとき、われわれはいつも基本的な無知、つまり〈自己〉ならざるものに巻き込まれる・・・。


インテグラル・ヨーガ (パタンジャリのヨーガ・スートラ)
P150,7行目〜152,2行目より引用

 

死んで行く時って

私はヨガを通じてこういったことが身に染み付いているのですが(毎回屍のポーズで死の模擬体験もしているし(笑))、日常的にもわたしと話をしていると、その多くに死についての会話が出ることは結構多いです。身近です。

 

死ねば魂が肉体から離れていく。
いや、死ぬ前から徐々に離れていってます。

 

そして、光になって時空を超えて自らの想いのままに死後は体験できるものだと信じています。

 

今の時代、多くの方が病院でお亡くなりになります。

その病院へ行くと、私は最も強く感じるのですが、どうでしょうか?病院の、あの独特の、重苦しさ。

 

 

重い感じ、ドロッとした感じ。
まさに様々な思念など漂っているからです。

 

病院ではたくさんの方がお亡くなりになります。死に向き合う時、悲しみや後悔、怒りや恨みが強ければどうしてもその重たい思念が空間に漂い残ります。

 

そういうドロッとした重たい念、その波動と同じような感情や思念、霊が集まり漂っている場が病院です。

 

そんな中でも天界からの光は、そういった低い重い波動のものから護ってくれ、向こうの世界へと導いてくださる、そう思っています。

 

ただ、その人が生きている間にどのようなことを信じているかによって大きく変わってくるのではないかと思うのです。そう思うのは、臨死体験をした方々の言葉が本当に人それぞれだからです。

 

とてつもない孤独、無を実感したと言う人もいたり、穏やかで静寂であったと言う人もいたり、調べていると本当に人それぞれのようです。

 

つまり、私の結論は生きている間にその人が死について信じていることが実現されるのかな、と。

 

こっちの世界だって思いは現実化します。

それは肉体を失った後も同じなのではないかと。

 

だから、”死んだら何もない無の世界に迷い込み迷宮入り・・・”と信じていたら、そのようなことを実現し、天界からの導きに気づくことができず、またどうしても死んだことに気づけず、病院に居着いてしまうこともあるかと思うのです。

 

中年期を豊かに過ごすために

先日は、「歳を取るのが嫌で仕方ない」この悩みはどうしたら良いものか??、というつぶやきのような連絡をくれた旧友がいました。

 

私は、「えーー!!歳を取るのが嫌ってぇ??でもこれが自然の法則だからねぇ。じゃ、ずぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと生きていたいの???そっちんが怖いわぁー」

 

と送り返したら「そうかしら。」というご意見なのです。

 

 

「目も悪くなるし頭も鈍くなるし周りからも年寄り扱いだし着る服もなんだかしっくりこない‥‥若作りしたいわけではないけどなんか似合わない‥‥そうそう肌のタルミもイヤ‥‥」

 

 

出るわ出るわ、容姿や何から何までーーー。

 

つまり、

歳を取る、老いることが『イヤ』なのですねぇ。

 

今回も前半で散々書きましたが、以前に書いた記事、【アラフォーが抱く中年期の抵抗感の受け入れ方】をぜひ参考いただきたい。

 

でもそんな悩みを持ちつつも彼女は、「私は今のままの生き方でいいんだろうか?明日死んだら後悔しないんだろうか?」→「全然良くない」「でも何が??」→「わからなくなってきた・・・」

 

という意味深〜いメールも送ってきたのです。

 

生には限りがあることには間違いなし!永遠ではない。

生に限りがあることはもう誰もが知っています。永遠ではない!!

限りがあるというこの真実を真に受け止めたとき、初めて生を精一杯生きることへの価値が見出せます。

 

ゲームのようにリセット!!
ライフを3個ゲット!
・・・と言うものではないのよ。

 

今ある命は一つ。それは、今生に与えられたたった一つの命です。

 

年取るのはイヤだ、ずっと若くでいたい
ずっと健康でいたい、死にたくない・・・

 

そんな思いに取り憑かれてると、ほんとに変なもんに取り憑かれてますよ。

 

永遠に生きるって‥??年齢なんてもう聞いてらんない世界なんだろうね、きっとわかんない。終わりがないなんて先がずっとないんですよ?そっちの方が怖いじゃないですか?

 

 

生きるということは、何か困難なことや壁にぶつかるのは当然。

だってそれを経験しに転生してきているわけで。魂は前世にやり残したこと何かを乗り越えようとチャレンジを選んでいるということです。

 

チャレンジできるのは”永遠じゃないから”ですよ、永遠である魂はチャレンジも何もない、思うがままの世界で時間も場所も未来も過去もないのですから。

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