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以前にSさんとメールでやりとりした内容です。(だいぶ付け足してましたが)

Sさんは今、旦那さんとお子さんがいらっしゃいます。まだまだ子育ての大変な時期ですが、そんななかご実家の親との関係において、心が引っ張られることごとがおありのようです。

 

今回の記事のような自分の親に影響を受けて、今の自分が喜びをもたらせない親や他人との関わり方をしてしまっている人が多いです。つい先日の相談内容も大変似たような境遇の方でした。

許せないことをネガティブに捉えない

子育てする中で起こる色々な出来事と感情を過去の自分と置き換えて、親にこうして欲しかったとか、今謝って欲しいとかはないけど、何度考えても親の立場や育ちに同情してもやっぱり許せないことを思い出す事があります。

 

姉とも話すのですが、私達はここまで来るのにとてつもなく恥をかいて自分で努力してきたつもりなのです。それを全て親のおかげと括られるのが納得いきません。

 

そうですよ!

お姉さんもSさんも、自分で努力されてきたのです!!

立派なことです!

 

「それは親のおかげ」と”くくられる”のは誰が括られるのですか。

親が「私らのお陰であなたたちは立派になった」というような類のことを言ってくる、で、それについてSさんがそう思おうとする必要がどこにあるのでしょう?

 

「括られる」と感じ、反発し、動揺するのは、Sさんが自分で努力したという自分の立ち位置を抜け出るから、親の言っていることに反射反応するのです。

 

「自分が努力した」という、その自分を持っているのであれば

親が、外野が、何を言おうが関係ないじゃないですか!!

NOと言うのは自分を尊重すること

NOと言えることは大事です。

NOと言えるということは、自分を尊重することから生じます。

 

そして、NOということで相手に怒りを抱き否定し続けていくことで「括られる」ことを許可しているのはSさんです。

 

ですから、「NOということ」と「相手を否定すること」を切り離すことが大事です。

 

NOということは争いではありません。
SさんにはSさんの思いがあってよくて、
親には親の思いがあって良いのです。

 

ここが自分の中に確固たるものとして在るならば、いくら親がひとくくりに「こうだった!」という言い分を主張したところで、Sさんは影響を受けることはないです。

 

親の考えに納得できないとき、納得できない自分を尊重していいのです。

 

そんなふうに思っているんですね。がっかりさせて申し訳ないけれど、私はこう思ってますよ」と、このスタンスです。とにかく、違いっていいんです。
この違いが互いに認められた上で、互いの折り合う位置を見つけることが大切なことです。
相手が完全に「従いなさい」という立ち位置から変わらないのなら、その折り合いは自分で自分を保つためのやり方として自分なりに見つけるしかないのです。

 

親に自分の考えを求めない

”親の考えに納得できないとき、納得できない自分を尊重していい”

これと同じで、自分の考えを親に押し付けてはうまくいきません。

 

どのようにうまくいかないか‥‥
それは、Sさん自身に否定的な影響がそのまんま跳ね返ってきます。

 

親は、自分とは違う意見を子どもから聞いたとき、

それをけなすかもしれないし、間違いだというかもしれないし、親あってのお陰だとか、そもそも親の言うことは黙って聞けなどととふっかけてくるかもしれないです。

 

その発言、その考えを選ぶのは親です。
その価値を選ぶのは親です。

 

親は子を否定し、結果的にそれによって子どもの方が親から距離をとって、絶縁までとは言わずとも、1年に1度程度しか顔を合わせない。

 

仮にこのような関わり方になったとしてもそれでいいじゃないですか?

 

 

親の考えること、思っていることがあまりに今の自分とかけ離れていようが、それでいいんじゃないかということですよ。

 

親と”適当”(ちゃらんぽらんという意味ではないです)に、社会的に関わればいいのです。

無理をして、ただ親だからと言う理由のみで関わりを頻繁に持っていくと現状が苦しくなるだけではないでしょうか。

 

 

親だから親だから・・・と、親に対して思う気持ちもありますが、その一つに子であることの義務感があります。

義務感は誰にでも必要です。でも義務感だけでいやいや行為をするということは不幸を産みます。幸せには結びつかないですよ。

 

いつまでも親の価値観に従って例えば「父の日母の日は何かをしてあげなければいけない」「誕生日には何か‥‥」と、しなければならないからするのでしょうか?心から”何かをしたい”と思えないのならしないでいいいのではないですか、ということです。あるいは、そこだけは何か形として行い、それ以外は、ある程度の距離を持った関わり方を見つける、とか、人それぞれでいいいんですよ。

 

”しなければならない”

と、思わなくなることが大事なことです。

 

その経験があって、もしかするとそのうちあなたにも様々な変化が起き、その上で”したい”になることだってあるかもしれないわけです。

 

どういう流れになるかは決まっていません。

 

ですが、ただ義務的に行為し、納得いかない相手を変えさせようとした心根を持って関わっている限り、魂の進化は進まないのです。つまり、自分を否定し自分の喜びとして変換される行為でなければそれはそのままそういう未来を受け取るようになってます。人生なんて限られてるんですよ、もったいないーー。

関係というのは一方で成り立っているのではない

正直に自分自身も認められず、相手も否定し、憎しみと結びつくような関心を向ける必要が自分にとって有益かどうかの判断を持つのですよ。

 

 

で、現状親と一定の距離をとった関わり方(具体的には先ほどの例のような年に1回顔を合わす)程度になっても、そういう結果を経ても親自信が何も気づかない、何も疑問視しない、あるいは変わらず子どもの方をコントロールすることで解消しようとするのであれば、

 

結局親はそれで幸せなんですよ。
そういう関わり方を望んでいるのですよ。

 

「親」と「子」の関係です。

当然のこと、子だけでその関係を作り上げることはできません。

親だけでも同じです。

 

だからこの両者の中で生じてきた出来事やその在り方において、それぞれに何らかに気づいて変化することで、この両者それぞれの新たな関係がまた生まれてくるのです。

 

親は相変わらずでそっぽ向いたまま以前と同じように支配的な態度で関わるその帳尻を子ども側だけで埋めていこうとするから影響を受けるのです。

 

そんな中Sさんは自分にフォーカスするんです。

相手を許す必要はないですよ。

でも、許さないでいることで憎しみや恨みが生じるとそれはそのまま自己否定につながります。

許さないでいいから、相手を認めるのです。

自分で自分の本当に望むものに向かうために、選ぶ権利はいつでも自分にあるのですから!

 

自分の責任をとること、もう、これに限ります!

人をどうこう変えることは絶対できませんものね。

人生というものに対して楽しみや喜びにフォーカス向けた上で過ごすのか、それとも不満や上手くいかないことにフォーカスして過ごすのか。

どちらも生きる上で大切な要素で排除できません。
ですが善信仰はダメです。

だからと言って疑い不満不足妬み恨み怒りの中でいてはいいことあるわけない。

ネガティブとポジティブのベースがどちらにあるかで人の幸不幸に差がどうしても出ます。

 

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