恋愛が続かず何をやっても虚しい理由
「恋愛も長続きしません。何をやっても何か楽しめない、なぜか虚しい」こうおっしゃるお客様。この本音が出てくるまで、この方、ほとんど笑顔で話をしていました。何か自分の中で引っかかるような言葉を発するようなときなどは特に。どうやら笑ってしまう癖がついている様子です。
自分にとってマイナスの笑顔
こんにちは。吉田かおりです。
痛いとこをつかれたくない時や、言いにくいことを誤魔化すときに「笑いながら」話すというやり方をする人は確かによく見かけます。私もニュアンス微妙に違うけど、するときありますよ。ジョークとか軽いノリで突っ込む時とか。
でも、本当にきちんと伝えるべき時に、本当に真剣に話すべき時にも「笑いながら」になる場合、それは相手にとってめちゃくちゃ失礼なことです。
笑う癖がついている人は、相手に「NO」と発言できない、しづらいと思い込んでおられます。それは、「NOをすることは失礼なこと」などといった気持ちを抱いていることからです。
「NO」と表現することを自分に認めてない。
く〜!!これは苦しいですよ!!
オーマイガット!
何でも「YES」って思わなきゃいけないって。。。無理・・。ムリムリ。。。
自分の「NO」を認めることは相手の「YES」も「NO」も認められるということです。つまり、自分の感じることを素直に認めることは、相手のありのままを受け止めることができること繋がるのです。
自分を認められないから相手も認められない。
だから、
相手との関係でうやむやに過ごしたり、相手との適切な距離感がわからず、最終的には笑いながらでしか表現できなくなっちゃうんじゃん。笑う場面にふさわしくない場所なのにいつも笑ってしまう、ということが起きちゃうんですよ。
恋愛関係が何年も充実した経験がなく、しいて言えるのは10年以上も前に出会った人との恋愛が、唯一幸せな恋愛だったかな、と・・・その後の恋愛はあまり長続きしません。
先日久々に同級生と集まりましたがみんな充実している様子でどんどん今の自分が辛くなってしまいました。このまま一人でいても将来の不安もありますし色々工夫してみようと思うのですが、何をやっても何かパッとしないというか虚しい気持ちが起きてきます。
このようにおっしゃいます。
それは虚しいですよ。
結局は「今」自分が楽しいと感じることや自分の喜ぶことを体験できてるもん勝ちなんですよ。でもそれを手に取ることができない。そんな状況を招いたのは、自分の気持ちを優先に物事を判断してこなかったことにあります。
すんごい大きなこと、例えばすごくお金がかかることや誰から見ても華やかなこと、人から楽しそうに見えること‥‥。こういった基準に楽しみを得ようとすると、得られるのは虚しさです。わかりますか?また、相手に満たしてもらわなければ足りない、これも同じです。
これでは、どこか自然豊かな場所に遊びに行ったり、温泉旅行に行ったり、美味しいものを食べに行ったりしても、”心ここにあらず”になっちゃうんですよ。
心ここに在らず
身体の中に自分の心がない状態。自分を基準に「感じる」ことがなければそうなります。周りを基準にすればするほど”心ここにあらず”になります。
感じることが乏しくなれば、人と同じ経験をしてもなかなか”実感”を見つけられませんよ。
だから、なんかもっと他にある、なにかをもっといいものが欲しい、誰かに埋めて欲しい、誰かに認めて欲しいって、外に外に求めてしまうことになるんですよね。
だから目の前に体験していることの価値を見つけられない。
自分の喜びを掴み取れない。
でも、自分ってこれが楽しいんだ〜〜!!って実感、ほしいのはこれじゃないでしょうか?
あ〜〜なんかワクワクする〜〜!!!
こんなフィーリング。
ただそれだけ。
それは全然お金のかかることじゃなく、そんなに遠くにあるものでもなく‥‥自分自身の中にあるものです。
季節が良ければ肌をなでる風をとても居心地よく感じることを実感するんですよ、自分が食べているものをほんとにほんとに味わって食べるんですよ、植物に触れたり裁縫などで何か創作して自分が作り出すものの喜びを感じるのもオススメですよ。
これ先日私が描いたパステル画です。
テキト〜に指でスリスリしていくのが楽しいのです。
(体験したい人は一緒につくりましょう^^テキト〜でなんかいい感じのが出来上がるのよ!最高だね!)
でも、この適当にやって楽しめるパステル画も『うまく仕上げること』にフォーカスしてしまえばきっと、苦痛さえか感じるかもしれません。
”楽しむ”が前提にあるとないとでは全然違うわけ。
だから同じ出来事であっても、自分が何にフォーカスしているかによって体験することはまるで違ってるってことです。
もし、相手に求めすぎている、相手の判断に任せすぎている、そんな理由で自分が虚しいの?と気づいたら、違う視点に立てるようまず自分に戻ったほうがいいんじゃないかな?
それを選ぶのは権利は絶対あなた自身にあるんだから。
自分に関心を持ち自分を認めること。そのフィーリングがあるからこそ周囲に関心を向けることに怯えたり屈したりすることがなくなります。
まずちゃんと自分。
自分あっての人生です。
人と比べることは無意味なんだなー
人と比べていては絶対に幸せになれませんよ。
だって人ってものすごい数いるし。
絶対に自分より優れている人がいるじゃん。
そもそも優れている部分も劣っている部分もあるのが人。
他人と比べたところでなんの意味があるの?いや、ないですよ。
たくさんの友達と賑やか華やかにしているのが幸せで、友達が少なく華やかさに欠けると不幸?恋愛関係充実しているリア充な友達は幸せで、恋愛していない自分は不幸?
もう人と比べてたらいっぱい出てきますよねぇ
キリがない。
そう、キリがなく自分の問題を探し続けていることであなたは自分の喜びを掴めてないんですよ。
それでもまだ人と比べる?
問題まみれでずっと楽しくないということにしがみつきますか?
大勢の人といるのはなんか苦手で‥‥
それでいいじゃないですか〜。
周りはみんな楽しそうなのに自分だけが馴染めず取り残された感じ‥‥
馴染めなくたっていいじゃないですか〜。
他の人みたいに誰とでも気軽にコミュニケーション取れない・・・
人それぞれですよ〜問題なんかないですよ〜。
問題だらけと思えばこれまでの人生を振り返るだけでも悲しくなります。
なんでこんな人生なんだろう・・・って悲観的になります。
問題=不幸
そう捉えていることからそうなるのですが、でも実は問題って別に問題(悪、不幸)じゃない。
問題に気づけたってことは、もうそれを手放したいタイミングなのです。
いろんな経験したなあ、その中でも自分なりによくやったよなって。いちいちいいの悪いのってジャッジするから問題の意味を掴む視点に立てずネチネチネチネチ・・・・・。
ネチネチネチネチネチネチネチ・・・・・
ネチネチネチネチネチネチネチ・・・・・
もうそろそろネチネチするのいいかな、ってこと。
それでいいじゃん。
問題と感じていたことに対して「どんな意味を掴むか」で「何を手放す」のかには違いが出ます。
そこはその時の自分の中にある気持ちをどれだけ認めているかによって答えは変わります。
自分の本質的に望んでいる気持ちが一体何なのか?選択肢はこれとそれとあれと、三つの「答え」があるようだけど、あなたが最も望んでいる答えは”これ”ですよ、仮に他人が伝えたところでその答えを決めて選ぶのは本人です。
その答えが本当に自分の選ぶべきものなのかどうかは後のタイミングで気づくことだってあります。
だから、どんな答えを選ぶかは自分の認め方をどのように深めているのかその立ち位置によって違いが起きます。
で!
それらにいいも悪いもないよ。
その人の人生においてその人のペースで気づきというタイミングが起きているのです。
それを私はこうするべきだとかああするべきだと指図しません。
とにかく「自分が選択したと」いう自分の体験をし続けることです。
ポイントは、他人と比べて自分の劣っている部分を問題視し、こんな自分はダメだと否定するのを今後もやりたいかやりたくないか。
問題ばかり見つけて問題だらけだと嘆き続けたいか、それともこれもそれも一つの大切な経験として、今度は違う体験してみたいと思えるかどうかですよ。
恋愛関係を続けることができないのも同じことなんです。自分を認めてないからです。相手にとって理想の自分を演じることをやめることです。
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