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自分が存在している意味を掴めなくなってしまう人がいます。

それがうつになる人です。

うつは沈んだ状態の人です。

「恥」にとりつかれている人もそうです。

 

沈んだ状態が常となってしまう人の特徴は、
自分を信用することができず、当然他人を信用することもできないです。

 

基本的に人を信用できないため、様々に起きる「自分のダメージ」をうまく発信、表現することも苦手。

愚痴の一つが言えずいろんなことを抱え込み、どんなに歪んでいたとしても親の期待(社会の期待、上司の期待)に答えようと努力を絶やさず自分を見失います。

周囲に求める承認欲求

心と体のセルフアップサポート専門

吉田かおりです。(私のプロフィールはこちら

 

 

自分の育ってきた環境、その生い立ちの中で、親との関係性が束縛的で支配的な要素が強い、また十分な愛情を受けていない、など、このような環境の中から子どもが見出した「信念」は「本質」から大きくずれている場合が多く見られます。

 

ですが、どんなにひどい親であっても、たとえどれだけ毒親であっても、幼い子どもは「親から愛されたい」と願ってます。誰だって愛を求めているのです。子どもであればまず最も身近な親の愛を十分に受けることを当然に求めています。

 

親から十分な愛を受け取ることなく大人なると、今度は周囲の人間の承認を得ようと努力します。大人になった今もなお、無意識的に”親に認めてもらいたい”という欲求から起きるのです。

 

このような問題は、別に親がアルコール依存、精神的不安定、経済的不安定、親の暴力、親が片親である、などと言った状況だから起きているのではありません。

 

 

いたって普通の家庭のなか、あるいは親が教師や警察官といった職業など社会的には立派(ちゃんとしている)であるような家庭にも起きやすい問題です。

 

つまり、どこの家庭の中でも子どもという存在を
あまりに軽視しているということ。

 

 

これまで長い期間、威圧的な関わり方によって子どもを管理してきた親は、まるで選択権を子どもに与えているように”見せかける”ことができます。

 

「あなたのことを思ってこうしてるのよ?」
(だからこっちを選びなさい)

 

この言葉の背景に、これまでの親との関わりによって威圧的に管理されてきた子どもは、反射的に親が納得する答えを差し出します。そして、大人になってもそれをし続けているのです。

 

”支配的な親”に限らず逆に子どもに

「無関心な親」
「親が親としての人生を楽しめていない親」

 

なども同じです。

 

こういった親を目の前にすると、反射的に体が萎縮し自分の感情と思考を止め、親のいう通りにしなければいけない、楽しんではいけない、などという信念を持っているのです。

 

 

このような状況に置かれた子どもは、大人になっても社会に出ても、親の縛りのなかで物事を選択してしまいます。つまり、自分の意志があると思っていてもそれは自分のものじゃないのです。

 

自分軸で、本心で、物事を選択できていない。

 

いいですか。

 

手放すべきものは自己放棄ではないのです。

 

そして、悲観的になって
親のせいでこんな考え方しかできなくなった‥‥
無力感を感じて親のせい、その環境のせいだからどうにもならない‥‥

 

このように考えるのは間違っています。
あなたがいつまでも「そこ」にしがみつくことで自分を育むことができないのですよ。ずっと過去に自分を縛っているのは自分自身です。

 

大人になった自分を尊重しなければ、どうするんですか!ずっと子供の心で生きていては自己責任がないままです!あなたのことなのですから、大人になったあなたが変えていくことができるのです。

 

人はみんな「自分」が幸せを掴みながら生きていくことが必要なことなのです。
自分に起こることは自分だからこそ変化を起こすことができるのです。

楽と幸せは違うんだね

自分を見失ったままだと、どうしてもいざという時の判断は”他人任せ”にしてしまいます。

そして、自分以外の人間の言う通りにして行動を済ませてしまいます。

 

つまり自分を信じられないから、なのですね。

自分には責任を持てる器がないと自己を放棄している、ということです。だからいつでも逃げられるような状況に身を置いてしまうのですね。

 

 

責任をとるような出来事はうまく回避し、楽な方へと流れていくことばかりでは、「意欲」というものが湧かないのです。これが生きることへの虚しさを生じさせるのですよ。これがウツになる流れです。

 

楽な方へと逃げてばかりのあなたは”失敗”や”責められる”ということをひどく恐れていますよね?

 

それは自分のことを「ちっぽけな人間」と決めているからです。

”こんなちっぽけな人間に責任を取ることなんてできるわけない”と。

 

本当のあなたは偉大な存在なのに、あなたの意識がそうは認めない。

偉大な存在はあなたの本質です。
それはあなたの良いも悪いも全てを認めています。

 

楽してその楽の中だけで生きていたら幸せって感じますか?

いえ、それは無理なんです。

「楽」と「幸せ」は違うのですから。

 

つまりある程度立ち向かっていく「力」がなければ「ただただ自分の生命を維持するだけ」の小さな生き方にしかならないのです

 

立ち向かう力はあなたの中にすでにもともとあるのですよ!!!

あなたの意識が「ない」と思っているだけです。

そもそも完全な人間なんてどこにもいないのです。

 

自分を見失ったままだから、常に自分以外の意見を尊重し、他人に合わせることを優先する在り方しかできなくなるのです。でもそれは、ほんのいっときの安心感を得るだけです。

 

これは”偽の安心”なのだと気づくことです。

 

漠然とした不安や怖さがいつも根底にあり自分を信用できないのは、このような状況を繰り返していることからです。

誰もが与えられている愛

 

なぜ漠然とした不安や怖さが湧いてくるのか、ここには理由があります。

人は基本的に誰もが自分の生命を守るべく本能が働きます。

だから、周囲の顔色を伺い誰かの意見のもと生きていくことを続けていれば、その本人の意識とは無関係に「本能」が働くのです。

 

それが「不安」や「怖さ」などとして現れます。
そしてそれは、その人の本質からのサインなのです。

 

人は最終的にはどうしても自分の責任を取るように神様、宇宙の根源、元、と呼ばれる存在から仕向けられています。だって私たちはそこから生まれたんですから!

 

創造主である神様は、ひとりひとりに無限の愛を与え個々の人生に自由を与えています。その自由が、言いかえれば「自分に責任を持つ」ということ。

 

 

誰も決して神(根源、元)から見放されることはありません。愛されているのです。現実にあなたの手足は誰かが操作していません。あなたです。もっと言うならば、酸素はいつでも吸えます。「自由」と「経験をする楽しみ」を私たちは与えてもらっているのです。あなたがそうだと認識し、求めればより良いのです。

 

人の魂を通じて神の意識と繋がっています。

だから元(本質)からの情報もいつだってその体の持ち主である本人に伝わるようになっているのです。それはとても自由で豊かな生き方に繋がるものであったり、あるいは苦しみや痛みであったりします。

 

苦しみや痛みがあることに”翻弄され自分を見失って生きていく”のか”そのサインを受け取り意味を掴んでいくのか”、その選択ができる立場に誰もがあります。

 

つまり!
自分が全てを作り上げることができるということ、全ては自分の自由な意志の上に自分の人生が成り立っていることに気づくだけ!

 

できるだけその真実に早い段階で気づき、自分の”責任と自由”の関係は表裏一体であり、それを掴んで生きる立場に立つと、喜びを実感しながら豊かな人生になるのです。

 

誰かのために生きてはダメです。

自分が自分の幸せを掴むために生きるのです。

足がなくても自分の存在価値は変わらない

複雑な生い立ちを持たれるAさん。
相談内容は自分の精神的な不調が繰り返されることについて、考え方を変容していくことが重要であることを伝えました。すると、このような質問がありました。

 

>私は自分の考え方に問題がある、というよりも対人恐怖症なので病的な理由があるためこのような場合は難しいのでしょうか?

 

それに対して私はこう答えました。

”薬に頼るしかない”、自分でそう決めていればそうしかなりません。

”病気のせいだから考え方を変えていくことは難しい”、これも同じことです。

”私はうつだから仕方ない”、これも同じことです。

 

こうして「自分」と「病名」を同化させ、本質的な自分の存在を認めないことを選ぶのであれば、あなたは病気に自分を取り囲まれ身動きできない状態を選んだということです。

 

自分にどんな病気があろうがそれは自分そのものになんの関係もありません。

事故で足を切断されたからといって自分の存在そのものが欠けるのですか?

いいえ、足を失っても自分の存在そのものは変わらないです。
存在し続けている限り自分は自分であり、本来それは何にも影響を受けることはありません。

 

これが自分の本質です。

 

でも、足を失ったことで自分の存在そのものも失ったと捉えるのであれば現実にそうなるのです。やけくそになり人生を投げやりに生きることも自由ですよ!

 

これが私たち一人一人に与えられた自由な意志です。

 

 

この地球に生かされている私たちは本当に自由を与えられてるのですね。

神様、宇宙の根源、元‥‥、どの呼び方がしっくりくるでしょうか?

 

とにかく個人がどのような考えのもと、どのようなことをしようがそれを認めてくれます。

ほんとに大きな大きな愛なのですーーー!!

 

「そういうことをしたら許しません!」

「罰を与えます!」

 

こんなことはされないのですよ、何をしても良いと言う自由があるのです。そして、決して見放さない。

 

あなたは何者にも支配されていないのですよ。

全て自分が自分の人生を作っているのです。

自分の思いを知る

 

どのような「思い」と共に生きているか。
不安、心配、恐れ、恨み…そのような思いをベースに過ごせば当然幸せや喜びを経験する機会を失います。

 

また、どれだけ言葉で色々と目標を語っても、心の底で自分がどんな思いを持っているか、ここの違いがある場合もあります。それによって言葉で言う思いはなかなか現実に反映されてこないのです。

 

たとえば、「健康で幸せになりたい」と願っていても、潜在的に「健康で幸せになれるわけがない」という無意識的思考が存在していればそちらの方が強力に身体に影響を与えます。

 

自分自身が今の状況に対して、

 

「自分が変わる必要がある」
「自分は幸せになりたい」
「自分に起きる問題を解消したい」
「自分に起きる不調の理由を知りたい」

 

などのように、自分に『関心』を向け、自分がよくなるための方向に流れをシフトさせていくことが重要です。それには不足した自分、完全ではない自分をしっかりと受け入れ認めることです。

 

つまり、あんまり自分を問題視しないことですよ。

 

あと、「誰かがよくしてくれる」「薬がよくしてくれると‥‥自分を内省することなく自分以外に求めても、よくなっても一時的なものなのです。すぐに元に戻ります。

 

自分の未来に前向きな目標を持つためには、自分自身に起きていることの責任をとる、自分の人生の舵は自分しかいないのだという意識が必要です。

 

幸せを掴むのは自分でしかありません。

幸せでない状況を選んでいるのは自分でしかありません。

誰も人の人生を操作することはできません。

自分が操作するしかないのです。

 

自分が幸せを実感できるように、『もっと自分らしく本質的な自分との繋がりを持って生きていく』には【考え方】を変えることは必要です。

 

そう聞くと、、、

 

その考え方を変えるには『ものすごく長い月日をかけなければならない』と思い込んでおられるかもしれません。

 

でも、それがなんども伝えている”完璧な状態”を求めると言うことですよね。それを求めるがゆえに現状の不満や不調とを起こすのです。
完璧を求めることは無理なことです!!!

 

無理なことをやり遂げようと取り組む、だからちゃんと”苦しみ”としてサインを表すわけですよ。

いちいちそのサインに翻弄されている場合じゃないのです。

 

一瞬で物事の見方を変え、自分の考え方が変わることだってできます。

それは非常にシンプルなのです。

 

え、まだ信じられない?
もぅ〜〜〜!完璧は無理なんだってば!!

そこを受け入れるの!

で、

自分の人生の創造主は自分なんだという、この当たり前のことにさっさと気づくだけです。

 

さっさと自分を信じる立場に置くことです。

誰も人の人生は操作できません。

このことに気づき、自分の人生の責任を全うしていくのです。

 

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