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子育ては当然ですが一瞬で終えられるものではないんですよね。子どもを産み落とした瞬間からその子が自立し一人で生きていくことが出来るようになる時期まで、親は責任を持って育てていくもの。

 

それはそれは大変なことはたくさん起きますよ!!

よく‥‥

”子育ては大変”という言葉ばかりが耳につくことで子育ての印象が悪くなるけれど、そうではなく『大変なこともあるけれどそれ以上の幸せがあるのよ!』

という主張もあります。

 

その捉え方私もありますが、

でも、私の中でちょっと違うの。

 

大変なことはなんにも悪いことではない、ということです。

 

まず子育て大変じゃないわけないじゃないですかー。

 

 

そこを受け入れておかなきゃどうするの?
それを受け入れずして子どもを産むから大きな壁にぶつかるんだよ。

 

 

そして、大変なことは悪いことという前提があるせいで、
そこに意味や価値があるとは思えなくなるんじゃなぁい?

 

 

大変(悪)よりもハッピー(善)なことがいっぱいよ!って‥‥そもそも、そう主張していることがもうおかしい。結局その発想って、大大勘違いを生み出す始まりだと思います。怖い怖い。

 

”大変”に真剣に取り組み、その”大変”に翻弄されずに自分の目的を明確にして子どもと関わるからこそめちゃくちゃ深いハッピーが得られるんだよ?

 

 

まず正直にいうと、私は子育ての大変さにかなり翻弄された時期があります。でも不器用ながら一生懸命「自分」に取り組んできました。そこからの数年間信じられないほど変わりました。

 

親にどういう思考があるから”問題”が起きるのか。
どんなカルマを解消していく必要があるのか。
どんな風にしていくことで子どもとの関係を健全に保っていけるのか?
何を意識するほどうまくいかないのか。
何を意識するほどうまくいくのか。
子どもは何を思っているか?
子どもは親の何を見ているか?
子どもは何を求めているのか?

 

親子に関するアドバイス、自信を持って答えられます。

 

 

そんな私が思うのは、”子育てで大変だ、本当に辛い、もう子どもが生意気でどうしたらいいか‥‥”という事を今、現状で経験している人に向けて、

 

「大変なこと以上に幸せを与えてもらってるじゃない?」

などと言われても心の底からそれを受け入れ

 

「ウンウン、そうだった」

と思えない場合だって当然ありますよってこと。

 

 

そんな綺麗事は通用しない人に向けてメッセージを送りたいのです。

それを綺麗事だと受け取らず心からそう思える人がいます。でもそう受け取れない人もいます。私はその後者の人を救いたいのです。

 

 

ウンウンそうだった、と仮に一瞬振り返れたとしても、ずっと続く子育てにおいてどうしても元に戻り、大変さに苦しくなる‥。というのが一番しんどいのでは。

 

つまり、ウンウンそうだったって思える”光の自分”
がいるんだけど一方で”闇の自分”がちらほら。

 

 

こういう場合、
親である立場の人の中にいる”子どもの自分”が、何かを訴えているんです。

 

親である姿をしたその人は頭では理想の親を演じますが、腹では子どもの自分が暴れているということです。

 

その子どもの自分が訴えている事に耳を傾けてみない限り、親という立場にいながら親としての責任を全うする思考が維持できないのですよ。

 

「親としての責任を全うする思考が維持されない」ということはどういうことかというと、

「子育ての中に起きる大変さの被害にあっている」という認識を少しでも親がもつことです。

 

大変迷惑を受けている、被害にあっている、このような思いが少しでも起きると、子どもと健全な関わりをもつことができなくなってしまいます。

 

 

もしあなたがまだ子どもを産んでいないのなら‥‥「babyちゃん産んで幸せハッピーママになる♪」っておままごとの延長みたいに考えて子を産んではダメですよ。ダメって言ってももう産んでいる人ならば一刻も早く気づいてください。

 

 

自分のぽっかり空いた穴を子どもに埋めてもらおうとするんじゃないよ。その穴は自分で埋めるんだよ。

 

まだ産んでいない人は、子どもを産む前に自分って幸せだ!これが自分だ!って思える経験してからにしよう。子どもに自分の幸せを作ってもらうんじゃないから。

 

なんどもなんどもくどいけど、子育ては本当に大変なんだから。その大変さちゃんと正面から受け止める覚悟がある人間になって欲しい。

 

被害者になって子どもに不満を漏らしているようでは親としての義務、責任は到底全うできないのです。でも親になったら親なんです。親なのに親でない。だから悩む。それでは幸せは掴めないです。

目的を自覚する

 

改めて、大変なことは悪じゃないです。

大変なこと、それをどうやったら乗り越えていけるのかを考えて工夫して子どもと接することに意味があります。大変なことを悪と捉えるから意味を持てずに苦しいだけです。

 

大変なことに対して自分を見失わないためには「何のために」という目的をもつことです。その何のためにがはっきりしているならば、「どうすることがいいのか」の工夫に繋がります。

 

だから、大変なことが経験できるってすごい幸せなんですよ!

 

これは不幸だと、被害者だと、そう受け取るから苦しいだけですよ。
そう受け取るということは、親としての責任を放棄することと同じ。

 

 

もう一度、おさらいしますね。

 

大変なことが起きた時、工夫をしながら関わるのは「なんのため?」

 

ちゃんとここに答えをもつことです。

 

 

なんのため?

その目的は?

 

 

ここに答えがないとダメですよ。すぐ崩れます。

 

 

目的は、大きく一言で言えば「愛」です。

 

自分の子どもが嫌いですか?憎いですか?
それとも好きですか?可愛いですか?

 

あかの他人と自分の子ども、その二人のどちらか一人を助ける選択を与えられた時、どっちを助けますか?

 

見ず知らずの他人?

 

いえ、間違いなく自分の子どもではないですか?

 

 

それはなぜ?

 

 

自分の子どもは特別だからです。

自分の子どもが愛おしいからです。

愛しているからです。

 

もし今子どもに対して「可愛くない、腹がたつ、憎たらしい」、そんな気持ちばかりが起きている人も、やっぱり、愛しているのです。

 

 

子どもの存在、その存在それだけで価値があるのです。

だから、価値ある人間だと認めて接することです。

 

「愛している、大好きだよ」

 

子どもに向かってそういって抱きしめたり、そう言葉をかけて相手を想像するだけでも、この気持ちを自分に感じることさえできれば胸にほんわかとした感覚をもつはずです。

 

これって「愛」ですよ。

そして、親としての立場にいるあなたが自分自身にそれを感じることです。

 

自分を受け入れることです。
自分を愛するって、よく言いますね。

でも「愛する」のは他人に向けての言葉です。

自分はそもそも愛されたから今ここに存在したんです。

あなたは愛された結果存在してるんです。

 

 

だから自分が子ども対して感じ取るほんわかした愛を実感することは、自分自身も認めることなのです。「わたし、これでいいんだ」って思うことです。

 

 

仕事で失敗したかもしれません、

旦那さんに八つ当たりしたかもしれません、

子どもに優しくできなかったかもしれません、

学校の成績が悪かったかもしれません、

友達とうまくいかなかったかもしれません、

いじめにあったかもしれません、

親から怒られてばかりだったかもしれません、

 

いっぱい色んな失敗したり自分なんてダメ‥‥と思ってきたかもしれませんが、

失敗の数なんて関係ないのです。

何かができるからとか、できないとかね、そんなものも何も関係なく無条件に、

 

あなたはあなたでよかったんですよ〜。

 

これまでもずっと、
あなたはよかったわけです。

 

安心していいのですよ。

 

あなたの子どもだけでなくあなた自身も当然愛される存在です。

価値ある存在です。

実際に愛され続けてます。

え?誰から?と思われますか?

 

生きているから当然のこと愛され続けています。

地球から宇宙から神から。

愛されたからこそ結果として存在したんです。

そして、その愛はずっとあなたに向けられているのです。

 

自分が気づきことができなかっただけ。
ずっと愛され続けてます。

 

ずっと愛され続けているということ
愛に値する人間ということ

 

そのことを自分に許可しますか
それとも許可できないですか?

 

大変な状況にどう工夫する?

 

一般的に中学生ころに、だいたいの子は特に親に対して強く反抗的になりがちですよね。

 

私自身の場合は気持ち悪いくらいおとなしい中学生でしたが。で、その頃の私はふつふつと親に対しての憎しみを増大させてましたよ。きゃあー怖いですねー。表面的にはなんでもいうこと聞くいい子なのにーー。

 

親は子どもの成長において、”ある程度のなんやかんやがあるということは、子供の精神の発達において必要であり正常なこと”と思えていることが大切。

 

健全な親は「自分もこうだったしなあ」などと大きく構えて右往左往せずに「落ち着く時期はくるものだ」という気持ちを信じて受け流しながら過ごすことができるものです。

 

そう、その経験が不十分な親ほど躍起になって上手くいかず、子どものことを受け入れることも受け流すこともできずに苦しくなるのです。

 

子どもの成長において問題と思えることがあるからこそ、子どもが自立への道へと順調に進んでいます。ここに何度も立ち戻ることです。

 

でも、例えば子供がすぐに切れて物を壊してしまい大変困っているなどがあったとします。

物が壊れちゃうと確かにイタイ。。

でも、”切れる子ども”を『問題児』として見た途端、親であるあなた【被害者モード】あるいは【支配者モード】になりますからね。

 

この子は困ったものだ‥‥と悩んでも悩んでも、望む状態にはならないぞ‥と気づいた時点で一刻も早く切り替えてください。立場を取り戻してください。立ち位置が不自然になるから健全な思考や意味、価値を見出せないのですから。

 

でも、”困った子だ” とか、”なんてひどいんだ” などの思い、そう思うなとは言いません。何をどう思うかは自由であり湧いた思いを”思ってはいけない”と消そうとすることはさらに良くないことだからです。

 

物理的に物を壊してしまえば、親は「壊れた物」を見て悲しい気持ちにもなるかもしれません。でもその悲しい気持ちを増幅させると、すっかり”子どもの自分”に立ち位置が変わっていきます。子どもが子どもを導くのは難しいですよ。だから気づいた時点で一刻も早く切り替え立ち位置を取り戻すことです。

 

今、親の立場である人ならば親となった意味を自分で掴むんです。
責任を持てるからこそいまあなたは親なのです。そう信じてください。勇気を持って立ち向かってください。

 

アルジュナよ!立ち上がれ!戦う決意をして!

バガヴァッド・ギーター第2章に義務について記されています。

バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)

 

第2章−11

あなたは嘆くべきでない人々について嘆く。しかも分別くさく語る。賢者は死者についても生者についても嘆かぬものだ。

 

第2章ー37

あなたは殺されれば天界を得、勝利すれば地上を享受するであろう。それ故、アルジュナ、立ち上がれ。戦う決意して。

 

少し解説します。

戦闘が始まったとき、戦おうとしている相手は同族であり、なぜ同じ血族のもの同士が戦う必要があるのか?との疑念から戦意を失ったアルジュナ。

 

それに対しクリシュナ神は「あなたは王国の武人なのだから戦うのが仕事。王国への義務はどこに行ったのか?戦うことを放棄することの方が悪い結果になる。卑小なる心の弱さを捨てて立ち上がり戦うのだ!」という言い分です。

 

このインドの壮大な叙事詩から、「義務」についてを学ぶのです。
立ち上がれ!!!!
あなたの中の愛を元に!

 

さて、
話を戻して・・・

 

何ができようができまいが、

どんなであろうが子どもを愛していることを思い出してください。

 

親の立場にたった上で、子どもが切れて何かやらかしたことによる会話をどのようにしたら良いのか?考えてみてください。

 

説教してやろうとか要らない。
子どもの気持ちをわかろうとして下さい。

押し付けは意味がないことに気付こう

子どもが切れてしまうとき、なんらかの原因があります。何もないのにそうなるっていうこと‥‥ないでしょ?当然なんらかの原因があって切れる。

 

その原因が外的要因のものもあれば内的要因のものもあります。どちらにも要因があることもありますが、親ができること、それは考えることです。

 

子ども自身が切れた状態を心から望んでいるのか?と考えてみます。

 

ブチ切れた勢いで物を壊してしまった、その行為で本人は幸せを感じているのか考えてみます。きっと、間違いなく、そんなことないですよね?

 

これまで子どもと心の通じ合うような、本心での会話、(諦めや服従、脅しなどの毒空気のない純粋な人(親)と人(子)との関わり)をした経験が少ない親子間であれば、親が考え方を変えて子どもと向き合う覚悟をもって関わり始めたそしても、子どもの方は心をすぐには開いてくれないものです。

 

だってそりゃねぇ、うん。そんなもんでしょ?
肝心なところの”繋がり”ができてないんですよ。
肝心なところが信用されてないということです。

 

だから信頼関係を再構築するのです。

 

「せっかく子どもの目線で物事をみて、
子どもをわかりたいと思っているのに、何にも話してくれない」

 

などと焦ることなかれ!!
焦りは遠回りになるだけ。

 

自分の要求にすぐ応えてくれないと、苛立ちや不安を増すのは、勝手が過ぎます。そのご都合主義なところが子どもは嫌なんです。

 

そもそもその繋がり、パイプはもともとは存在しているのです。それを今はお互いが認識できないだけです。だから実はゼロからそのパイプを作るわけではないんです。パイプがもともとあるんだ、そこについた埃やチリを取り除き磨いていくだけでなのですから。

 

子どもが切れても動じないでいるには

親:「物を壊してしまった自分の姿を振り返ることってできる?イメージできるかな‥」

 

落ち着いたときにこう話しかけてみたとします。

 

親に心を開けない状態になっている子どもは「そんなもん知るか!」とか「イライラした態度」とか「無反応」とか、「お前(親)のせいだろう!!」と‥‥ブチ切れるかもしれません。

 

時間が経って落ち着いた頃に話しかけても、子どもが親に心を開けない場合、親に対する強い不信感、不満を抱いている場合がやはり強いんです。子どもの問題行動の中の最も強い原因はそこであり、親への非言語メッセージだという場合もあります。

 

だから、

・親が考える答えを押し付けることはしない。
・子ども自身が自分を客観視し自分の問題を見極められることをサポートする

 

ただそこに努力を向けてください。
親の役目はそこです。
答えはこうだ、こうするもんだ、って押し付けることじゃないのです。

 

そういう押し付けのない親子の関わりが築けていけば、こんな風に展開するかもしれません。

 

子:「うん。。。イメージできる」

 

親:「そっか、そのイメージの自分をみてどう思うかなあ・・・?」

 

子:「・・・・・、ほんと、バカだね・・・(自己嫌悪)」

 

親:「・・・・、ほんと、そうかもね・・・(苦笑い)」

 

子ども自身が自分を振り返り自分で判断すること、ここが最も重要なことです。ここのところを一方的に説教で押し付けられると拒否したくなる。

 

親は子どもが自分のしたことに対してどう考えてみるかをサポートするだけです。そしてお互いの認識をすり合わせた上、親としての気持ちを伝える、これで十分なのではと私は思うのです。

 

親:「こんな大事なものを壊してしまって、これはもう確かにト・ン・デ・モ・ナ・イないことだよ!・・・でもね、お母さんはこう思う。”あなたの人生”というスパンでこの出来事を見たとき、これって本当にちっぽけなことよ。どーってことないことよ。だからね、もうこれ以上落ち込むんじゃなくてね、こんなことする自分をとことん嫌いになりなよ!!もう〜こんな自分とは決別してやる!!!って覚悟をもつんだよ。でね、また失敗したりするかもしれないよ、お母さんだって失敗はするよ。とにかくさ、私はあなたの親なんだから、何があっても絶対親なんだから。必ず見守ってるからね。」

 

外的要因や内的要因様々にありますが、優先的に何から取り組んだら良いかを調べることもできます。症状の原因を調べて改善に向けるお手伝いもできます。

 

子どもと自分をちゃんと区別して一人の存在として関わることです。
親としての自分の考え方を明確にすることですね!

 

 

 

 

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