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変えられることが「ある」ということ

こんにちは。吉田かおりです。

 

その人に起こる現実は全てその人が作ってきた結果です。

どんなことであっても人は体験する人生を自分が100%作っています。

 

問題の真っ只中にある人は、この言葉に対して傷ついたり、その言葉が重くただ辛く感じる場合もあるかもしれません。でもそれは、まさにその事象にとらわれているからこそ自分を見失っているという状態。自分を取り戻しさえすれば違うものになります。

 

本当に自分が望んでいることをもち、自分のことならば変えることができるのだということを体験するしかないのです。

 

 

「あの人がああしたら良いと言ったからそうしたのに、うまくいかなかった」

 

「周りがああ言っていたからそうしたのに、失敗だった」

 

 

こうやって自分の経験した失敗に対して、自分の責任ではないと不満をもらす人がいます。言葉ではなんとでも言えますねでも真実は違います。

 

100%全部、自分で人生を作ってます。

 

誰かがそう言ったからこうしたのにうまくいかなかったと…などと言うのはとんでもない発想です。誰かがそう言ったから、という理由。それ変でしょ。そんなの理由じゃない。「そうする」と決めたのは自分。当然のことそれは自分の責任の内のことです。

 

 

病気に苦しんでいる・・・

夫(妻)との関係がよくない・・・

妻(夫)が病気で困っている・・・

子どもの反抗がひどく大変・・・

 

 

このような問題が起きているとき、当事者その本人が表面的にある問題の中で、どのような問題意識を持っているかによって大きな違いが生じます。その質によって全く別のものになります。

 

どんな問題意識を持っているか

例えばあなたに、相手との人間関係がうまくいっていないという問題があったとします。

 

うまくいっていないという現実に対して

 

あなたには
「相手の問題」が見えています。

 

そして相手の方にも
「相手(つまりあなた)の問題」が見えてます。

 

このような時、二人がどれだけ話し合いをしても問題の解消にはなりません。

 

あなたに「自分の問題」も見えているなら、やりようはまだ色々とあることが見えてきたり、自分の捉え方を変えることは難しいことではないことも体験できます。そして相手との話し合いが建設的なものになります。

 

どれだけ「相手の問題」があなたに見えていたとしても、相手に100%原因があるわけではないのです。

 

自分の問題も必ず含まれていて、そこに気付きながら相手とどう関わってみることができるのかを試し続けるほかありません。

 

単に相手を干渉しコントロールすることで問題事象を解決しようとすることは全く望ましいことではなく、無理なことに対してやろうとすること、躍起に取り組むという状況が起きるため、苦しいし悩むのです。この結末は、単なる強者と弱者の関係を生み出すだけです。

 

意地悪をする人

 

例えば職場で、あなただけに挨拶をせず不機嫌な態度や嫌味を言うような人がいたとします。

 

そういう態度を自分にしてくるのは、なんでだろう?ってまずは思うかと思います。そこで自分を振り返り相手との関わりを見直してみることをした時、どうしてもなんの心当たりもない。なんでそんな風な態度をされるようになったんだろう?ってどうしてもわからない。そんな状況だとします。

 

そのうち、

なんでこんな風にあの人は私にだけ嫌な態度をするのかということにイライラする気持ちを感じたり、悲しい気持ちに囚われたりするかもしれませんが、まず、相手を変えたい気持ちがあるほど自分がしんどくなります。

 

相手に普通に挨拶してほしい、と相手を変えさせようと思っていたり、もっといい態度に変えさせようと思っていたりするから悩みになっちゃう。

 

 

不機嫌な顔して過ごすのはその人の問題です。

全くあなたの問題ではないわけ。

 

 

明らかな意地悪をしてくる、不機嫌な態度をする人は、その人の家庭や日常生活の中であった何らかのストレスがあり、八つ当たりをしていると言うのがほとんど。充実した日々を送っている人が誰かに八つ当たりをするなどないものです。

 

なぜ自分が当たられる対象に??と思われるかもしれませんが、その理由は、あなたが幸せそうにみえることだったり、あなたがその人より美しかったり、あなたがその人の中の(自分の)嫌いな部分とそっくりであり、そんなあなたをみるとイライラしてくるなど、いろんなことが考えられますが、とにかく「相手の問題」なのです。

 

だからこのような場合は、

自分は自分に感じていたストレスを誰かに八つ当たりするような態度をしたくない、自分は挨拶を気持ちよくしたい、ここのところを大事にすればいいってことじゃないかな。シンプルにこれでいい。

 

自分が在りたい自分でい続けること。

それを選んで行動すること。

自分に関心を向けるんですよ。

自分の反応に関心を向けて、ありたい自分を求めるのです。

これが自分を大切にすることです。

 

 

あるいは、こんな関わり方だって必要かもしれないですよ。

【相手の位置に合わせてみる】

つまり、同じように挨拶と言う関わりをやめてみることです。

 

 

ただ職場で淡々と仕事をするだけの関係であって、それ以上の関わりを求める必要もなく、相手に関心を抱く必要は‥‥別にないじゃないですか?

 

絶対に挨拶をしなければ仕事ができないなんてことはないのですから、頑なに常識的なルールを優先するのではなく、自分と相手との関係の中で適切なものを探せばいい、ただそれだけ。なにも難しい問題ではないよ。

 

 

挨拶をしない自分がどうしてもいやだと思うのであれば、相手に何の期待もせずに自分の在りたい態度をすればいいし。

 

はつらつと笑顔で「おはようございます!」

 

 

相手が不機嫌な表情をしていることであなたも不機嫌になる理由はないですよ。それでもどうしても心が引っ張られうような場合は、どうしても”常識ルールを守らなければ許されない”という「あなたの中に解消したい本当の問題」があるということです。

 

問題意識のずれは大きい

 

先ほどの例のように、問題意識が「相手が挨拶をしない」だと、そのことに関して発展しようがありません。考え方の転がしようがないのですね。相手ではなくまずは自分。自分を持った上で相手へ関心を向けるのなら発展します。でもそれでも相手を変えることは目的ではないです。無理ですから。

 

 

どんなトラブルでも、自分と相手という関係において何らかの「問題」が生じた時、お互いが何に対して問題意識を持っているかにずれがある場合があります。

 

 

ひとりは「○○だから問題」と認識している。


もうひとりは「□□だから問題」と認識している。

 

 

例えば、「自分(相手)の病気」という事象があったとします。

 

それについて、

●ひとりは「事象そのもの」が問題だとみている。
●もう一人は「事象そのものではない部分」が問題だとみている。

 

前者の場合、病気になったことによって医者や薬に頼るしか頭のない最も愚かな選択をしてしまいがちです。病気を悪としかみなせないため、一刻も早く排除したい、医者に何とかしてもらうしかない、そういう思考に流れます。

 

本来、自分の身体に生じたことです。

自分を抜きに全て他人や薬に依存してよくして頂戴というのは不自然なことです。つまり、せっかく病気になったというのに、その意味を受け取れないという状況です。

 

 

後者の場合、病気になったのは食生活や運動不足、またこれまで自分を大切にしてこなかった考え方に大きな問題を見出しています。すると、自分の何かが変わらなければ病気をよくすることなどできないという真実に気づき始めます。

 

 

自分の身体に生じたことであり、自分でその理由を探し、できるところから改善に向けて取り組んでいく工夫をし始めます。決して他人頼みではなく、自分を抜きには取り組めないという覚悟が芽生え始めます。こういう流れに入ると病気があってもその病気には囚われず自分らしくいることができます。

 

自分の病気でなく、夫(妻・子ども)など家族のなかの病気の場合でも同じように、関わりの深い人間同士が「どのようなことに問題意識を抱いているか」によって、全く違う行動と結果となっていきます。

 

問題意識が持てない人もいる

夫婦や身近な人間関係に生じている問題について、仮に自分の問題と相手の問題の境界線をちゃんと持ち、その上で相手の問題があなたに見えていたとしても、相手そのものに問題意識が持てない限り、何の気付きも変化も起きません。

 

全てはそこ、問題意識。そしてその中身。

 

これを「本人」が持てない以上、変わる必要がないということ。本人が望んでいないということです。だからあなたは事象に捉われずに前進するのみです。

 

あなたがこれまで相手に対して「ここにあなたの問題がある」ということに気づいてもらうために、様々な関わり方を相手としてきたとします。自分の問題と相手の問題を区別できているならば、この関わりにおいてさほど行き詰ることは起きません。

 

行き詰る時は、自他の境界線を超え相手の問題に干渉しコントロールしようとしている時に感じるもの。

 

 

さて、
事実として、どうしても問題意識が持てない人はいます。

 

自分の人生において、全くそう行った意識を持てずに表面的なことごとに翻弄されている人。そうなる理由にその人のある考え方が深く根付いています。

 

 

”考える”要素は、起きている問題に対して「いかに考えることができる」かです。

 

 

ですがその考えの転がしようがない人は、結局答えは決まったところからしか出せない。考える幅がないのは非常に損であり、世間一般の答え、常識的な答え、誰かの答えを求めるだけになります。

 

 

そのような状況にある人はお決まりのようにこのセリフを言います。

 

「仕方がない」「こうするしかない」

 

はい、これですね。その言葉だけで物事を片付けてしまう。そんなんでいいの??それで本当に納得できるの?そんなものなの??と私は思うのですよ。

 

 

それしかないと決めつけているのはあなたですよ。

何もしないことを選んでるわけで。

 

 

だから何か他によくするためのことがあるのではないかという発想を抱くこともない。なんて狭い世界なのか。その縮まった幅を持たない考え方のせいで本当の問題にいつまでたっても気づくことなどできないんですよ。

 

 

だから、あなたが相手の問題を理解していても、相手がそこにある本当の問題意識を持てない限り、事象の変化は何も起きません。そこにある意味を受け取ることです。自分からまた別の関わりを持つ人に対して生かしてください。

 

仮に、そんな関係をもつ相手から「どうすることがいいんだろうか」「このままではいけないと思う」と相談があったならば話は別です。その時は間違いなく相手は開いている時だから。

 

 

縮まっておらず、これまで考えることさえなかったことに対して考えることを始めた時です。つまり本当の問題意識を持てた時。

 

 

だからこういった時に、ようやく何らかの大きな変化が現れてきます。

あなたが伝えようとするその分かち合いを受け取る準備が整ったという時です。

 

 

相手が問題意識を持っていない時、関わりのある大切な相手にいかに伝えるかに取り組むことはあなた自身の魂を磨きます。自分の問題は何かということも共に在りながら、磨かれるのです。相手に干渉しコントロールしようと取り組めば、難しくなるだけです。

 

 

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