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自分に自信が持てないって自分に拠り所がないんですからそれはしんどいですよ。悩みが抜けないときって、解決できないことばかりに考えを巡らせて、解決できることへの考えを巡らせることができていないことからただ混乱しているだけなんだよなぁ。

自信がない人は自分がない

心と体のセルフアップサポート専門
吉田かおりです。(私のプロフィールはこちら

 

私は”自分が全くない人間”でした。

 

常に周りのことが気になって気になってどこに行っても落ち着つかない。

 

「落ち着きがない」という言葉を子どもの頃からよく言われていましたがほんと、じっとすることができなかったんです。で、大人になってもどうしても落ち着くことができなかったです。常にバタバタ動いてました。

 

(今振り返れば坐骨システムの問題があったことが根底の原因。本当に損をしたなぁ‥‥2018.12追記)

 

 

たとえば、
友達が家に遊びに来ても、ついついあれもこれもと動いて、「何か」をする。お茶を出したと思えばまた立ち上がり、あれをだし、これを出し‥‥。

 

全然行動的に落ち着くことができない。

 

だから当然、心が落ち着くなんてない。
なんか内面の焦りがある。

 

 

リラックスしていいのに、


のんびりしていいのに、


全然緊張しなくてもいいのに、

 

あらゆる場面で緊張しちゃう。

 

 

その緊張が他人にばれないようにやたらと「やること」、「やらなきゃいけないこと」を探して動き回る。

 

今それをする必要なんてないのに忙しそうに振る舞う。

 

場合によっては緊張がばれないように、クールな人になりきる。

 

場合によってはもう少し相手とゆったりと会話を楽しめばいいのに、少しの沈黙も耐えられないから明るく賑やかにしゃべくり通す。

 

・・・

(しんどそーーー汗)

 

 

自分の自信のなさゆえに、他人からどう思われるかを過剰に気にかけ不安な気持ちや怖い気持ちをいつも抱え込んでしまっていました。これは…これは辛いですよ。

 

今は違いますよ。
そのような「苦しみ」はないです。

 

当時のような、自分がない状態による不安って、なくなりましたね。
(坐骨システムのプログラムも完全修復してますし!詳しくはこちら↓をご参考に 2018.12追記)

 

右側のお尻が痛くて座布団を持ち歩きたいほどの症状は坐骨の問題があった

 

揺らぎない自分がいますか

「揺らぎない自分がいつも自分の中にいる」という感覚は当時の私には全くありませんでした。この自分の内面の存在は実はその人の「自信」に繋がるもの。

 

私はどっぷりと「自分は自信がなくて本当にダメな人間」という思いを無意識的に抱いていました。よっ!これぞ不幸体質!!

 

意識的に思うそれとは全く違った「相当重いやつ」なんです。無意識的にこの思いを抱いているというのは、日常的に非常にリスキーな生き方だということ。休むことなくこの思いが自分の根底に存在しているのだから。

 

無意識にあったものをまずは意識化していくこと。
それをきっかけに少しずつ私は変わりました。

 

過去に自信溢れた経験って何かある?

あなたの過去を振り返ってみると、自信が溢れていた時ってどんな時だったでしょうか?

 

何か強烈な体験、苦労もあったけれど成し遂げた体験、何かを周囲から認められた体験など、そのような「体験」を通じて人は自信を強く実感することもできます。

 

私のそのような「自信みなぎる感じ」があったのは何かを振り返ると、唯一浮かんでくるのは心身ともに強烈なストレスを受けた出産かもしれません。

 

でも・・・

言い換えると「出産」していなかったら自信みなぎる喜びの体験を探せない状況なんです。(つまり、「自信みなぎる喜び体験なんてない‥‥」という人だっています。これについて、この記事の最後にまた触れていきますよ)

 

 

さて、

何かにつけて自信がなかった当時の私の特徴は、「初めてのこと」ということが過剰に怖かったです。特に自分の体に”痛い思い”をする、ということがわかっている出産とは、恐怖そのものでした。

 

痛い思いへの恐怖感。

 

それは、私がまだ幼い頃に親から受けていた暴力に繋がりました。その影響で私は痛みに対して過剰反応するようになっていたようです。(そのような理解は当時は全くなし。)

 

私は受けていた暴力が頻繁だったので、大人になってからも身をすくめるトラウマ反応が無意識に出てしまい、人と話すときにしょっちゅう顔を背け身をすくめるような仕草をしてしまっていました。(これも無意識にやっちゃうわけですからね、そういうのやってる自分がいる、これって‥‥?と気づいた時はトラウマという言葉を知った頃でした)

 

 

話を戻して、
痛みの伴う出産に対して過剰な恐怖心を抱いていた私ですが、当然のことその出産を逃げられるものではありません。くるべき日が来てあれほど怖がっていた出産をいざ乗り越えた私は‥‥

 

「私、すごい!!!!!!!

あんな怖いことを乗り切ったんだ!!」

 

と、自信が溢れ出てました。
私にはもう怖いものなんて何もない、と思ったほどでした。

 

単純ですねぇ〜(笑)

 

怖がりな人は怖がった分、結果を得た時の喜びは大きいです。

 

それほどまで喜びを感じられたり自分をすごいと思うことができたのも、あれだけ怖がっていたおかげでもありました。

 

怖がることの意図

私の体験からもわかるように、怖がることにも意味はあります。

 

妊婦の時の私の例で言うならば他にも、食事や運動にも気をつけていましたし、自分の体を労って過ごしていました。それも、やはり危険を回避するため。怖いと感じる気持ちがあるからこそです。

 

怖がりは臆病者で弱い、という見方もありますが、必ずその役割があります。

 

もしあなたが怖がりさん、臆病さんでしたら、自分がそれによって守られているものは何か、助けられていることは何か、一旦それをご自身で確認されてみるといいですよ。肯定的意図が必ずあります。

 

 

その上でもう一方の見方をしてみましょう。

 

怖がりさんは、その結果を受け取るまでの間中、『自分の体が緊張し、鼓動を早めたり呼吸が浅く不安定になったり、血圧が上がったり、睡眠を浅くさせたりと、体の内側で緊張状態を続けて自分が苦しい状況』になっていることを自覚してください。

 

 

その結果(未来)について、

「悪かったらどうしよう」

「不安」「怖い」「どうなるんだろう」

 

と悩めば悩むほど、その未来についての答えは出ない。

 

 

自分が本当に自分に問いかけ、真剣に答えを求めるならば、ちゃんと自分の中にその答えはあります。あるんですよ。

 

でもそういう自分を信じることができないわけだから‥‥だからそういう場合は、未来に向かうほど未来からダメージを受けてるってこと。

 

で、今を生きることができなくなるってことです。

 

何がリスクなのかを見極め選択する

未来に悩んで怖くなって怯えるのはこの体がある「今」です。

 

結果的に「今の状況を苦しく過ごす」ことで本当に良いのかどうか、今の自分にとって本当に望ましいことなのか、「ほんとは一体何がリスクなのか」を考えてみましょう。

 

 

怖がっていることで自分を守っている意図を知り、そしてそれに”反応している自分”について考えてみる。こういう内面との向き合い方によって客観的に自分の感情を受け入れることもできます。

 

「ああ〜自分はこんな風に怖いって怯えいているんだなぁ」

↓  ↓

「そうか〜こんな風に怖がっていたんだなぁ」

↓  ↓
「そうかあ、こうやって自分を守っていたんだなぁ」

↓  ↓

「でも、こうすることのほうが自分を守れることかもしれない」

 

 

と「心」を動かしながら変容していくことが必要。

 

 

「未来についての結果を今求めても仕方ないことなんだ」ということ。結果を求める生き方は幸せに繋がりません。えっと…ちょっと待ってよ、未来を持つことは大事だよ。でもその未来に意識を奪われ今がめちゃくちゃになってしまうのは、本当に持つべき未来を持ってないからなんだよね。

 

 

自分の望まない態度が繰り返されていることに対して肯定的意図を見つけ、自分の気持ちを受け入れる作業を大切に行ってみてください。一人で進める自信がない時はサポートしますから。

 

まず、怖がることによって”守られている”その役割を認めることができたら、それに変わるものを見つけることができると良いだけなんです。

 

なんでも経験することはチャンス

何かを経験するから自信を得られた、資格を持ったから、しんどいことに取り組んだから‥‥、などという経験をされた方も多いことと思います。

 

たしかに、今当たり前にできることも、初めての時にはある程度は緊張したはず。初めからなんでもうまくいかなかったはずですよね。

 

職場でお客様の対応をする
会議でお茶を配る
会議でプレゼンをする
彼氏と食事をする
歯医者で治療してもらう
新幹線に乗る
飛行機に乗る
自転車に乗る

 

こういったことなどでも、初めての時って誰でもある程度緊張します。

でも、一度経験すればある程度理解できる。

経験したことって、もう自分のものになる。

やがて緊張なくこなせるようになる。

 

当たり前のことですが、経験していくこと、

その「絶対数」が少ないよりも多いほどおのずと自信って増すものなんだと思います。

 

その経験の中の失敗という経験も、最高の学びです。

失敗した…失敗した…という言葉にしがみついたままでいるからず〜〜〜っと失敗なだけなのだから。

 

失敗を経験したならそれを次はどうしたらいいか?っていう発想に繋がらないのは自分が「失敗したんだからもうダメ」って決めてそこから動かないからですよ。動かないでずっとそうしていたいんならそれでいいし、それは嫌だと思うのであれば発展させればいいんですよ、それが人生の学びです。

 

自分にできることにフォーカスし、知恵を巡らせて行動すればいいんです。

 

他人重視から自分へ

先ほど”何かにつけて自信がなかった私は「初めてのこと」ということが過剰に怖かった”と書きましたが、なぜ初めてのことに対してそれほどまでに過剰に怖がっているのか?

 

根底にある心の要因は、先ほども書きましたが「幼い頃の家庭の問題」にありました。そして、そこで習得した私の信念は、『他人の考えや様子を優先すること』や『自分は重要ではない』ことだったのですね。

 

 

他人から自分のこと変って思われていないか?

 

他人から自分のこと間違っているって思われていないか?

 

他人から怒られるのではないか?

 

他人から軽蔑されるのではないか?

 

他人から嫌われるのではないか?

不安がつきまとうのは、自分を信じることよりも、他人を信じることしかしなかったから。(正確にいうと他人さえ信じてないのですが)

 

慢性的に自信がない人は、自分よりも他人を重要視しているため、自分がないんです。自分がないから自分で「これはこうするぞ!」という意思が持てない。

 

「こうでいい?」

 

「いや、それともこう?」

 

「こうならどうかな?」

 

いちいち他人の判断を煽ってしまう。
自分で物事を決断することを恐れる。

一度決めたことが他人の一言ですぐに変わってしまう。

 

 

なんて自分を大事にしてないんだ!!!

書きながらそんな過去の自分に腹が立ってきたぞ。

 

 

まったく‥‥、自分で決断することを一切しないことから「自分の立場」をとることができないんだよ。そんなんで自分らしく幸せに喜びの中人生過ごすことができるわけない。完全に自分を見失ってんじゃないか。

 

 

本当になんて損なんでしょうか!

自分の人生なのに他人軸で生きるとは、こんなにも不幸なのです。

 

 

 

じゃあどうすればいいか?

 

はい!
もうこれしかない!

 

自分が思ったことをやればいい!

 

これまでは自分の考えや思いを重要視していないから、他人の考えや思いに頼ることしかなかったかもしれません。

 

でも、自分の中にも純粋にこうしたい、ああしたい、これはいやだ、などは必ずありますよ。ないわけないんだから。

 

本当はみんな100%の自信を持って生まれてきた!

私の過去を振り返り、自信みなぎった瞬間は、「出産」でした。ですが、私が出産していなかったらなーーーんにもありません。

 

それ以外をいくら考えても、どう探っても自信みなぎった瞬間が探せないのです。

 

大して勉強ができたわけでもなく、何をするにでも中途半場ですし、何に自信が持てるかなんて‥‥何もありません。

 

こういう人だっていらっしゃいます。(まず私だ)

 

 

何かを「経験」し、そして何かを「得る」こと、「認められる」こと。確かに、自分にプラスされている事ごとによって自信は強さを増すものです。その経験が多いのは素晴らしいことです。

 

でも!!!!!

 

ほんとうの自信とは「外側の影響を受けることで得られるもの」ではありません。

 

ほんとうは、そういう外側の影響を受けることで存在する自信とは、脆いものです。他の力を借りなければならないということは、そういうことです。

 

まず、

ここに存在しているという事実から言えることがあります。

あなたは生きている。

あなたはこの地球に生まれた。

 

 

なぜ?

 

 

それは100%だったから生まれたってことなんです。

自信みなぎっていたから生まれたんですよ!!

 

でも、この世界は100%(完全)では生きていけません。

 

それは宇宙がそれを許していないからです。

 

だから完全な人間は存在しません。
人生という生命の中で人の成長進化を通じて喜びや楽しみや悲しみや怒りやなんでもその個人の創造を通じて宇宙は進化してきています。

 

だから神は人間に「完全」を与えていないのです。

 

でも!

産まれる直前までは間違いなく100%!!

だから、生まれたすぐは自信がみなぎってるんです!

 

おしっこ漏らせばオギャァオギャァと泣きました!

うんこ漏らしてもオギャァオギャァと泣きました!

お腹が空いたらオギャァオギャアと泣きました!

気に入らなかったから物を投げました!

 

 

数々のことを「思い通り」にやってるのです(笑)

こうしたらダメかも、とかなんて思われるか・・・なんてね、そんな考え一切存在しません。もう自分の思う通りに表現しまくってるんですよ。

 

そして、大きくなっていくにつれてこの社会で生きていくために必要なことを学ぶ必要があって、人は自分が宇宙(神)と同一であるということをすっかりと忘れていくのです。

 

で、自分なんてちっぽけなんだ‥‥、

とすっかり自信を無くしてしまう状態も起きるのです。

 

でも、もともとあれだけ自信みなぎってたのです。おしっこ漏らしては「はやくかえて〜〜気持ち悪い!!!」ってオギャァオギャと泣き喚いてたんですよ?!(笑)

 

 

つまり、
自信というものは常に存在してるんです。「得ないと持てない」のではありません。それは本質的なものとは違います。

 

そして、「ちっぽけな自分」を選ぶのか、「自信を持っている自分」(もともと存在している)このどっちを選ぶのか。

その選択は自分でできるということです。

 

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