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「純粋な愛」そう聞くと、どんな風に想像しますか?
私の答えはまさに、相手に求めないってこと、これ。つまり、”条件づけていない”ということ。

求められるほどしんどいでしょう?

こんにちは。吉田かおりです。

 

 

相手に求められるということは、相手から条件をつけられていることだとも言えると私は思うんです。

 

 

相手、周囲に期待されるからこそ頑張れるっていう場合ももちろんあるかと思います。それは結果的に「自分がそうしたいから」という結論にいたっていればなんの問題もないです。

 

 

でもよく、「仲間外れにされたくないから〇〇する」とか「よく見せたいから頑張る」とか、そんな思考があるんですよねー。。。

 

 

それって・・・

「条件づけられた環境」

 

 

に自分が身を置いているからそんなことにもなります。

 

 

 

条件をつけて要求してくるのって・・すごく嫌じゃないですか?

そういうのに限ってやたらと「愛」を主張して来たりするんですよ。。。。(マジうざい)

 

 

 

そんなの愛じゃなーーーーい!!

 

条件ばかりで相手をコントロールしたいだけ!!

 

片方に摩擦が起きているのに、それのどこが愛?

 

 

 

 

「〇〇するべきだ」とか「常識的には」とか‥‥。こういう言葉や態度も同じ。

 

 

 

以前、私はこのような相手を通して「うぅ…重い…」と感じたらそれ以降、「それ以上の感情」の波が起きちゃって‥‥、いちいちいちいちダメージを受けていました。。。

 

 

 

「お前が可愛いから」「お前を愛しているから」そんな前置きをしてじわじわと条件を押し付けてくる‥‥、それをされるともう自分が乱されまくりでした。

 

 

 

「なんでそう言われなきゃいけないの‥‥」

 

「なんで?!なんで?!」

 

「なんなの?なんなのよぉー!」

 

 

 

心乱れまくり。。。

 

 

で、気づいたんですよ。
これ結局は、相手が自分にしていることと同じように、自分も相手にこうあるべきだって求めているからこそ起きている状態だってことを。

 

 

 

相手と「同じことしている」のでグルグルと似たり寄ったりの負の感情が互いに巡る。

 

 

なんの解決にもならない自分の状態を、あら…「自分」が生み出していたんだって!!。気づいた時にはめっちゃ腑に落ちましたね。

 

 

【オススメ姉妹記事】

自分の上位の存在に導かれよう

 

純粋な「なんで?」とそうでない「なんで?!」

なんで?って疑問が「純粋な疑問」で働く時、それは疑問を抱いた人にとってものすごい重要な気づきへと発展します。

 

 

 

なんで??という疑問が純粋なものとはどんなものか、それが、

 

「理由を知りたい」


「わかりたい」

 

この部分を埋めるための「なんで?」にはプラスのエネルギーが働きます。

 

 

 

そうそうあと、こういう時の「なんで?」は間違いなく焦りがなく落ち着いている。
理由は愛を含んでいるから。

 

 

 

 

では、問題であるもう一方の「疑問」の場合。

 

 

相手が自分の思い通りでないことに対する不満、相手をコントロールできない不満、自分が100%正しいという認識、相手が100%間違っているという認識、になっているためマイナスのエネルギーが働きます。

 

 

だから、焦っているし、イラついているか怒ってるか逆に打ちひしがれているか、とにかく落ち着かない。つまり、そこに愛は存在してないということです。

 

無条件の愛

 

相手に対して要求せず、自分がそうしたいからそうする。
相手のあるがままを認める。

 

 

その上で「できることをする」。
自分の喜びのためにそうする。
それは相手の喜びにつながる。

 

 

こういう状態は「愛あるもの」になるのかと思うのです。

 

 

 

自分だけよければそれでいいんじゃない。

 

 

 

いいことがない、体調もいつも不調、などそういう問題の根本的な要因として、自分の不調が続いている限り周囲の人間が優しく接してくれる、という場合もあります。

 

 

「不調の自分(弱い自分)」を盾にして相手に条件をつける。相手をコントロールしようとする。これって、自分にも相手にも最悪な条件をつけてるってことですね。

 

 

このような条件がなく、自分や相手がどのようなことであれ、そのままを受け入れることができること。こういうスタンスを持つことが必要。

 

 

 

相手をどうこうしようとすることへの取り組みはいらないです。

自分なんです。

 

 

 

たとえば、親友と呼ぶ相手を考えてみると、毎日会う相手ではなかったりしますよね?
年に数回、あるいは数年も会っていないとか。

でも、どれだけ数年ぶりだろうが相手のありのままを受け入れることができる。

 

 

これ、純粋な愛、純粋な関係です。

 

 

 

相手に求めていない
相手がどのようなことでも受け入れる

 

 

 

このスタンスでいられるということは、相手に依存がなく、自分が自分として自立しているからこそです。

 

つまり、自分が生きる上でほんとは相手を必要としていないっていうことでもあります。(この表現は誤解もありそうですがあえて。)

 

 

相手がこうしてくれなくちゃ私、寂しい

 

相手がこうしてくれなくちゃ私、悲しい

 

相手がこうしてくれなくちゃ私、困る

 

 

こういった思考がないのです。

 

 

 

これほんと自由ですよ。

 

 

 

自分が確立されて行かないとこれは育ちません。

自分が確立されるほど「何」においても「自由」を得ていけます。

 

 

相手との人間関係を見つめ直す

彼氏/彼女の関係、夫/妻の関係は非常に密接な関係です。距離が近い関係は相手に感情的にあたるような場面が多々見られます。

 

 

なぜ感情的にあたるのか?は
やっぱり強く求めているからなんですよね。

 

 

 

相手に条件を付けて関わっていることが意外に多いんです。

言い換えると「相手にいろんなことを強く求めている」んです。

 

 

 

人間関係の距離が近い分、どうしても依存は強まりやすくもなります。

でもそんな時こそ注意深く「自分」!

 

 

 

寂しさを埋めてもらいたいから相手とそう関わるのか?

 

お金が欲しいから相手とそう関わるのか?

 

ただ誰でもいいからそう関わるのか?

 

 

 

なんでなんでしょう?

 

 

相手の洗濯物を畳むのははなんで?

 

相手の食事を作るのはなんで?

 

お給料を渡すのはなんで?

 

 

 

あなたの方から相手に「無言の要求」は何かない?

 

 

 

 

 

それに気づいたら、
それ、「いる」か「いらないか」よ〜〜〜く考えてみてください。

 

 

 

自分が「それが楽しいから!」「本当の自分に向かっているから」

こう言えるようになることですよ〜。

 

 

相手に要求して与えて欲しいと願うのではなく、与える側になること。
これが自分の人生の中でどれだけ体験できるかで生きる深みが変わるのでしょう。

 

【オススメ姉妹記事】

相手に必要とされないことの価値

 

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