yoshida-kaori.com

「純粋な愛」そう聞くと、どんな風に想像しますか?
私の答えはまさに、相手に求めないってこと、これです。つまり、”条件づけていない”ということ。

求められるほどしんどいでしょう?

心と体のセルフアップサポート専門
吉田かおりです(私のプロフィールはこちら

 

相手に求められるということは、相手から条件をつけられていることです。

 

相手、周囲に期待されるからこそ頑張れるっていう場合もあるかもしれませんが、そこは結果的に「自分がそうしたいから」という結論にいたっていればなんの問題もないでしょう。

 

でもよく、「仲間外れにされたくないから〇〇する」といった思考が起きるのは、条件づけられた環境に自分が身を置いているからなんですね。

 

悩んで苦しくなる時、根本的に自分にこのような思考が存在していることに気づいていないことが最もな原因だったりします。

 

 

条件をつけて要求してくるなんて本当ウンザリ。

そういうのに限ってやたらと「愛」を主張して来たりするんですよね。マジうざいんだよ。

 

そんなの愛じゃない。
条件まみれで相手をコントロールしたいだけ。
自分のエゴを相手にぶつけているだけのに、片方に摩擦が起きるのに、それのどこが愛なの?

 

「〇〇するべきだ」とか「常識的には」とか‥‥。こういう言葉や態度も同じ。

 

 

いまの私なら、こういった相手の態度を受けた時、「おおっとっ!重たいのがきた!!」と、とても冷静になります。

 

でも以前、私はこのような相手を通して「重い!」と感じたらそれ以降、それ以上の感情の波が起きて、いちいちいちいちダメージを受けていました・・・。

 

「お前が可愛いから」「お前を愛しているから」そんな前置きをして条件を押し付けてくる。それをされると、もう自分が乱されまくりでした。

 

なんでそうな風に言われなきゃいけないだ‥‥
なんでこんな思いをさせられなきゃならないんだ‥‥


「なんで?!なんで?!」

「なんなの?なんなのよぉー!」

 

心がブラブラになって結果的にダメージを受ける。

 

で、気づいたんですよ。
これ結局は、相手が自分にしていることと同じように、自分も相手にこうあるべきだって求めているからこそ起きている状態だってことを。

 

相手と同じことしているのでグルグルと似たり寄ったりの負の感情が互いに巡る。なんの解決にもならない自分の状態を、自分が生み出すわけです。

 

【オススメ姉妹記事】

自分の上位の存在に導かれよう

 

純粋な「なんで?」とそうでない「なんで?!」

なんで?って疑問が「純粋な疑問」で働く時、それは疑問を抱いた人にとってものすごい重要な気づきへと発展します。

 

なんで??という疑問が純粋なものとはどんなものか。それが、

 

「理由を知りたい」


「わかりたい」

 

これです。この部分を埋めるための「なんで?」にはプラスのエネルギーが働きます。

 

こういう時の「なんで?」は間違いなく焦りがなく落ち着いている。
理由は愛を含んでいるから。

 

それがそうでない疑問の場合はどうか?

 

相手が自分の思い通りでないことに対する不満、相手をコントロールできない不満、自分が100%正しいという認識、相手が100%間違っているという認識、になっているためマイナスのエネルギーが働きます。

 

だから、焦っているし、イラついているか悲しんでいるか、落ち着かない。つまり、そこに愛は存在しないということです。

 

無条件の愛

 

相手に対して要求せず、自分がそうしたいからそうする。
相手のあるがままを認める。

その上で「できることをする」。
自分の喜びのためにそうする。
それは相手の喜びにつながる。

 

こういう状態は「愛あるもの」になるのかと思うのです。

 

自分だけよければそれでいいんじゃない。

 

 

また、気をつけたいことの一つに‥‥

「相手に優しくすることは善であり、人としてそうできるのは素晴らしいこと」「困っている人がいたら優しく接するのは当然のこと」という思いは人の愛から沸いてくるものです。でも、それを表面的に固定的に捉えて、「優しくすること=絶対よいこと」ではない!ってことをお忘れなく。

 

 

不調が治らない人の根本的な要因として、

自分の不調が続いている限り周囲の人間が優しく接してくれる、という因果があることもあります。

 

不調の自分、弱き自分を盾にして相手に条件をつける。自分にも相手にも条件をつけてるってことですね。

 

このような条件がなく、自分や相手がどのようなことであれ、そのままを受け入れることができること。こういうスタンスを持つことです。

 

 

相手をどうこうしようとすることへの取り組みではないのです。

自分なんです。

 

 

親友と呼ぶ相手を考えてみると、毎日会う相手ではなかったりしますよね?
年に数回、あるいは数年も会っていないとか。

でも、どれだけ数年ぶりだろうが相手のありのままを受け入れることができる。

 

これ、純粋な愛、純粋な関係です。

 

 

相手に求めていない
相手がどのようなことでも受け入れる

 

このスタンスでいられるということは、相手に依存がなく、自分が自分として自立しているからこそです。

 

つまり、自分が生きる上でほんとは相手を必要としていないっていうことでもあります。(この表現は誤解もありそうですがあえて。)

 

相手がこうしてくれなくちゃ私、寂しい

 

相手がこうしてくれなくちゃ私、悲しい

 

相手がこうしてくれなくちゃ私、困る

 

こういった思考がないのです。
自分が確立されていると、相手に過度な依存心を抱くことなく自立でき、だからこそ純粋な愛を与えることができる人間となります。

 

相手との人間関係を見つめ直す

彼氏/彼女の関係、夫/妻の関係は非常に密接な関係です。距離が近い関係は相手に感情的にあたるような場面が多々見られます。

 

なぜ感情的にあたるのか?は求めているからなんですよね。

 

 

相手に条件を付けて関わるから。

相手に何かを求めていることからです。

 

 

距離が近い分、どうしても依存が強まりやすい。

だからこそ、自分が自分でいるということ(自分の体験することの決断は自らができる人間になること)、本当の自立への努力をすることが必要。

 

何から何まで全て一人で!っと背負いこむのではないんですよ。

自分がなぜその相手と関わるのか?ここを大事にしなくちゃ依存を強めるだけです。

 

寂しさを埋めてもらいたいからそう関わるのか?

お金が欲しいからそう関わるのか?

ただ誰でもいいからそう関わるのか?

 

なんでなんでしょう?

 

相手の洗濯物を畳むのははなんで?

相手の食事を作るのはなんで?

お給料を渡すのはなんで?

 

 

あなたの方から相手に「無言の要求」がそこにありませんか?

それを手放すことです。

 

自分が「それが楽しいから!」「本当の自分に向かっているから」

こう言えるようになるんですよ。

 

相手に要求して与えて欲しいと願うのではなく、与える側になること。
これが自分の人生の中でどれだけ体験できるかで生きる深みが変わるのでしょう。

 

【オススメ姉妹記事】

相手に必要とされないことの価値

 

 

 

●吉田かおり書籍サイト●
Yoga salashanti book’s 
ヨーガ的生き方はあなたに力を与えてくれます。
「変わりたいのに変われない」
「自分らしさってなんだろう」
そんなあなたにオススメの1冊。
↓↓↓

ヨーガの落とし穴 ~そこで学んだもの~


Kindle版 自分を大切にする5レッスン