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こんにちは!かおりんです。
(私のプロフィールはこちら→私について

 

 

簡単なこと、わかりやすいこと、
困ることなく問題を感じることもなく、

なんでもサクッと進めちゃう♪

 

 

でも、そんなんばかりだと人はバカになってしまいます。

 

 

自分の今あるレベルの中だけでなんでも簡単に理解できることで溢れていたら、頭をあんまり使わなくていいんですものね。

 

 

えー楽の方がいいじゃないですかー

別にバカでいいですわー

 

と思われる人もいるかもしれませんが、

 

 

それでは思考そのものが鈍ります。わからないことに触れるからこそ人は気づきを起こすことができるのだから。

 

 

思考が鈍るってよろしくないでしょう?

 

 

思考が浅い人というのは、やっぱり何かの問題が起きた時に手が出せなくなります。もうお手上げなんですよね。

 

 

深く考えることができないから何を見るべきなのか、何がよくないことなのかも明確にわからない訳であるから。

 

 

だから議論すべきこともずれてる。
全然どうでもいいことでしか発言できなかったり、します。

 

 

そういう人は損得でしか物事を見ることができないし、闇雲に信じるということだけで実際「現実に立ち止まる力」がない。

 

 

 

簡単簡単♪

できるできる♪

得得♪

 

 

立ち止まったり疑問を抱いたり考えたりすることがないことからバカになるんですよ。

 

 

だからー、

 

 

なんでもわかりやすくて簡単♪ってこと

ばかりになびいていちゃダメなんです。

 

 

 

今ある難しいこと、

スムーズに行かないこと、

これらは必要なことなんですよ。

 

 

 

例えば、本でも読みやすくて簡単な本から、

1度で読んだだけでは意味わかんない本ってあります。

 

 

 

読みやすくて簡単な本は読みやすくて簡単なことによる気づきがあります。でも、ハトホルの書とか、ヨーガスートラとかなんかもそうなんですけど、

 

 

読んでいて、

なんじゃこれ意味わからん‥‥

 

 

なんです。でも、よくわからないけれども何かを感じるから、時間を置いてまたなんども読んでいく。

 

 

最初に読んだ時のわかんない感は、

次に読んだ時には「はっ!」と何かに気づくことが起きる。

 

 

スートラなんてほんと、言葉が簡潔すぎて何が言いたいことなのかが本気でなっかなか理解できません。その解説を読んでもやっぱり簡単ではありません。

 

 

あなたはまぎれもないかの〈見る者〉である。あなたは身体でもなく、心でもない。あなたは〈知る者〉、すなわち〈見る者〉である。

 

 

 

「なんじゃそれ?」じゃないですか?

でもー、こういうのも大事なんですよねー

 

 

 

私の場合、スートラを猛烈に勉強した当時、わからないなりにも総合的に、「ネガティブな感情は悪だ」と解釈しました。

浅いところでしか解釈できないからそうなってしまった訳ですが。

見事にハマってしまった善信仰。

 

 

素晴らしい教えのはずなのに浅いところでしか解釈しないと、自分の中に分裂した自分を生み出し、抑圧された人格が常に自分の内面にいることにも気づけなくなる。

 

 

(だって善信仰だもの‼︎)

(これだから闇雲に信じるっ‼︎て厄介)

 

 

でも、こういう気づきを得られたのもネガティブを愛する生き方、この本との出会いその影響は大きい。だいぶボロボロになるまで読み込んでいます。

 

 

 

その他いろんな本にも出会い、いろんな経験もし、結果的に今はヨーガスートラに対して当時のような歪んだ捉え方をしていません。

 

 

 

困難な環境を経験したりすることで

もっと深い大切なことに気づいたんです。

 

 

 

なんていうのかなー
「言葉」の数じゃないんですねー

 

 

 

どれだけ言葉で学ぼうとしても、言葉というだけで荒い。言葉がどれだけ多くても、言葉そのものじゃない。

 

 

 

言葉にのった何かを自分自身が感じとること、ここに勝るものはない。

 

 

 

誰かが言っていたあの言葉、それが「何を言っていたか」ではなく、重要なのはそこで何を感じ気づいたのか、そっちです。

 

 

 

これって、簡単で上手くいく中にいるだけじゃ育まれないです。

 

 

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