人に聞いてからしか答えられないと言う意味
こんにちは!かおりんです。
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ある人はこう言いました。
「まずは誰々に聞いてからじゃないとわからない」
なぜ??
‥‥その言葉って一体なに?
私にはその言葉の理解はできません。
私とあなたがいて、私が語った言葉に対してあなた自身はそれについてどう思うのか?という問いに対して
「誰々に聞いてみないとわからない」
‥‥とは?
やっぱりわからない。
だってあなたはそこにいる、
今現在。
間違いなくそこにいてあなたはそこに存在している。鏡を見ればそれは間違いないことは確認できる。あなた はそこに映っている。
じゃあ、聞くのなら、
その人に聞いてみればいいだけのこと。
「私はそれを聞いてどう思ったの?」
「私は一体どうしたいの?」
「私は一体何を求めているの?」
「私の心の中に今あるモヤモヤの正体はなんだろう?」
そいういう自分とのコミニケーションを通じて自分の目の前に関わる他者との関わりを取らないと言うのは、責任逃れをしているにしか過ぎない。
なんの責任か?
それは自分自身です。
あなたの中にしかない答えをなぜ人に決めてもらおうとするの?
例えばの話、自分の答えを持ったつもりの上で「誰か」と話し、誰かの意見を聞いた「途端に答えが反転する」ようなものであれば、そもそもしっかりとした自分の答えを持っていなかったと言うことでもあり。
こう言う場合、また違う意見を聞けば、「そうだ」となり、また違う意見を聞けば「やっぱりそっちだ」などと他者に左右されるばかりになる。
よく熟考して自分自身と向き合い、全体性をみながら再認識したと言うものであれば、それはその時本当のあなたの答えになる。
実は、どんなことでも全ての答えは自分の内面にあります。
そういう自分の答えを持ち、他者との関わりを通じてまた何か気づくことがあるのかもしれない。でもそもそも自分の答えを持っていなかったら、自分以外の人間の言う通りにしかあなたは自分の人生の選択をしていないと言うことです。
大切なのは「自分以外のもの」をあがめることではない。
自分の外に素晴らしいものがあると期待することではない。
自分の内面を掘り下げて、その素晴らしさや計り知れない可能性に気づくことです。
自らの尊さや、内面から溢れる輝きとは、そうやって増していくものだと思いませんか。
そういう自分を大切にできないと、目先のものにと心を奪われるばかりです。形式的なこと、表面的なこと、中身を重要視することなく、外側のカタチでしか判断できない。
お金を持つこともそう。
まず「お金を持つこと」で幸せになれるのではないと言う点を理解すべきです。ですが貧乏が続くのは実際苦しいです。しんどいです。
でも、たとえ目の前の小さなお金や目の前の小さな自分の一つ一つを大切にすることなくして大きなお金を持ったとしても、豊かさ満足さを得ることは難しいです。それはそれで実際苦しいし、しんどいのです。
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