こんなレールの上を生きるのはつまらない
こんにちは!かおりんです。
(私のプロフィールはこちら→私について)
教育熱心な親ほど子どもの人生のレールを敷こうとします。そして、レールを敷いてあげることこそが最善だと思ってます。
子どもはそのレールの上を従順に歩きさえいれば、無駄な苦労もなく人生万々歳。
‥‥そうね。
とも思えるし、
?と疑問符がつきもする。
私の親は教育熱心でした。
親の言い分が絶対で親の言いなりにならないならば怒られる。
でも私が順従に親の言いなりに育ったのも中学まで。
確かに親の言いつけを順従に守っていると大したトラブルもなかったです。
(年齢的にもそうかもしれませんが)
でも、「自分がいない」という
違和感がいつもあるんですよね。
自分の内なる声。
高校の時にその違和感を私なりの「反抗」という形で出して行ったわけですが、それでも最後の最後、私が社会に出る時に親は「私のレール」を準備しました。
「親の顔が効くここに就職すれば待遇もいいし問題ない」と勧められた(いや強制させられた)のです。
でも、それまでの親子関係の中で私がずっと感じていた違和感、自分の内なる声の方を優先しました。
「いやだ」と。
おそらく、程度はありますが社会的に優遇される位置に行くと、確かに優遇されて色々楽なんですよ。
ほんとに色々と、自分の努力や実力ではない部分が勝手についてきます。
それって恵まれてると言えるかもしれないですが、全然恵まれてないとも言えるんです。
だって、「自分がない」という違和感が常にあるのですから。自分の感覚を無視して親のレールに従って生きていると、とにかくそのレールを進むしかなくなるんですよね。
そうなると、どんどん自分らしくない生き方をしていくことになります。
レールを敷かれたその上を進むだけなんて、どれだけつまらないことなのか。
そうやって、自分の心とか、生きる意味とか、そういうのをどんどん見失っていくのです。
え…..心?、自分の感情?
そういうのがかえってしんどい。
そしていつのまにか無感情になる。
虚しいねえ
今思えば、あの時親が用意したレールは
どの道「お勤め」というその仕組みの中のレール。
どれだけその道が、楽で優遇されていようが、「お勤めという仕組みの中」で、「それを基軸に自分の生計を立てる」わけならば、
それは所詮、社畜というレールの上。
どの道、不自由なのです。
「自分がいない」という感覚。
これは、私のように子どもの頃から親のレールに従えと言われてきた経験のある方だけじゃなく、
一般社会のシステムというレールに従って生きる以上、多くの人が起きてくる感覚だと思うのです。
そのシステム(奴隷システム)の中で生計を立てようとすると、実際そのほとんどは社畜でしかいられないのですから。
だから「自分がいない」という
内なる感覚が起きるのも当然のことなのです。
そんなとき必要なのは、自分を生きることです。そのためにも、そういうシステム(一般社会の枠)から離れて、自分で自分の収入を得る方法を身に付けること。
お金を稼ぐために生きるのではなく、
自分を楽しむために生きること。
有限である時間の価値を重んじて、できるだけ早い段階で「お金のために(働くために)生きることを卒業する」こと。
そうなってこそ、ようやく自分の全てが自分の責任を全うでき、自分らしく豊かな生き方となってきます。
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