yoshida-kaori.com

こんにちは!かおりんです。

✨🐷✨

 

 

私は気が強いとよく言われます。
先日も言われました。

 

 

思い返せば気の強かった母が、いつのまにか気弱になってきたのを私が感じ始めた頃は、母から特によく言われていました。

 

 

 

「あんたは強いね‥‥」
「あんたは強いからいいね‥‥」と。

 

 

 

(気の強かった母が気弱になった理由は今となって私なりに深く理解しているけど、ここではそこは控えるとして)

 

 

 

今日書きたいこととは、

 

 

他人に対して「強いよね」とか「あなただからそれができる」とか言う人の多くに、ものすごい誤解があることを書きたくなったみたい。

 

 

 

 

私は感情豊かな人間です。
ものすごい喜怒哀楽がはっきりしてます。
どうでもいいことに固執したりしてどうでもいいことに異常に時間がかったりと、変な特性もあります。

自分の中の自分に語りかけて泣いたり怒ったりもする側から見る変な人間です。

 

 

 

でもそんな私があるからこそ、自分起きる事象中で、時には愚痴もありながらも自分がどうしたいかの軸を常に確認しつつ、自分の最善は何かを見極めて「自分なりの最善」を選択しています。いつも。

 

 

 

これまでも、本当に悩んだ時その答えを求めて自分以外の「他人に判断を煽ったこと」は一度もないです。

 

 

 

私はそういう考えでいつも動いてて、「自分なりの最善の選択」をするという繰り返しの中で人生を歩んでるわけです。

 

 

 

 

だから、遠回りしてることも失敗も多かったりするそんなノロノロ人生かもしれないけれど、

 

それでも自分の選んだ結果だとして後悔はないです。

 

 

 

悔やみながら生きる方が絶対に嫌じゃん。

 

 

 

 

こういう私を見て
「あんたは強いよね」などと言われたりする。

 

 

 

これって本当に不思議すぎます。

 

 

 

 

悩みの核の部分に対して決して他人を介入しない。

 

自分1人で自分と向き合って真剣に判断するしかない。

 

 

 

そこを人に判断求めてどうすんの?誰の人生?自分じゃん。

 

そこを他人に委ねると後悔の元しかないじゃん、という考えなので。不思議すぎるのです。

 

 

 

 

で、ふと思ったのは、

 

 

なんでも人に相談しないと自分のことを決められないのは、その自分の判断を下すまでの「材料」を自分自身が持ってないからだと思う。

 

 

つまり、その悩みのために自分がどれだけのことをしてきたかの部分。

 

 

 

 

でね。

 

自分1人で決断を下すことについて、人との繋がりの薄い寂しい人間だとも思われり、合理的に生きることしかできない冷たい人間とも思われたり、自信のある強い人間って思われたり。

 

 

 

 

んなわけないじゃぁん‥‥。

 

 

 

 

行動している人間を特別視するのはそれこそ変だよ。

自信に溢れているように見えても不安がないわけじゃない。

強そうに見えたとして弱さでだってある。

 

 

 

 

自分が自分の不安に寄り添っていては自分で選び行動していく力にならないじゃん?

 

そっちの方が悔いる生き方にしかならないことをわかっているから、当たり前に自分のことは自分で選択しているだけ。

 

 

 

ただそれだけのこと。
ほんとに、ただそれだけのことでしかない。

 

 

 

 

うまくいくことばっかりじゃないけれど、やっぱりやってみなきゃ結局なんにもわかんないでしょ?

 

 

 

その「わかんない」っていう状況が一番不安を増すわけだよね?

 

 

行動しなきゃ現実を見れない。

現実を生きれない。

疑問も持つこともできない。

現実にある疑問や不安も自分なりに咀嚼することもできない。

 

 

 

意味ある人生にするには、

問題をわかるところからです。

なんでも積み重ねが必要かと思います。

 

 

 

 

継続的にブログを読みたい方はこちらからご登録どうぞ🐷