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こんにちは。吉田かおりです。

 

 

 

忙しくバタバタとした日々を過ごしていると、暇が欲しくて仕方ないと思うかと思います。

 

 

でも・・・
暇って辛くないですか?

 

 

私は経験ありますよ

暇から起きる「心の不安」。

 

 

 

反対に、日々を忙しく過ごし「時間がない時間がない」とストレスをためている時、それって自分の時間を過ごしていないことからそう感じます。

 

 

 

だから、自分を見失って不調が起きます。

 

 

だから、そんなときに「暇」を求めるかもしれない。

 

 

 

 

 

でも、多忙も辛いけど
暇も結構辛くないですか?

 

 

 

 

 

暇を持て余すほどになると、
人はバランスを崩します。

 

 

 

そもそも、生きることそのものって、様々な困難が起きるのが当然のことで、それに「立ち向かっていること」が「生きること」と言えると私は思ってます。

 

 

 

その「立ち向かっている」には、苦もあり楽もあり、それがとにかく人生の喜びになるもんだと。

 

 

 

だから、暇を持て余すようになることは、

生きる気力を失っていると言えるんじゃないかな。

 

 

 

 

ホリエモンこと堀江貴文さんの著書に「時間革命」があります。

 

 

 

「多忙」と「暇」は同義である

 

(中略)

 

暇を感じているとき、あなたは時間資産をドブに捨て続けているのに等しい。また、退屈な時間には、頭のなかに「ロクでもない考え」が湧いてくる。それがストレスを生み出したり、人をバカな行動へと駆り立てたりする。

 

 

(中略)

 

 

その意味で、やはり予定はしっかり詰まっているのに越したことはないのだが、同時に、じつは「どれだけ忙しいか、どれだけ暇があるか」は本質的な問題ではない。たとえスケジュールがびっしり埋まっていても、人は「退屈」を感じるからだ。

 

 

これは「多忙」と「多動」の違いだと言い換えてもいい。

朝早くからオフィスに出社して、息つく暇がないくらいアポや会議をこなし、深夜まで残業している人がいる。睡眠や食事の時間も惜しんで、あくせくと働いている人がいる。そんな日常がたのしいのなら、とやかく言うつもりはない。

しかし大半の人はそうでないはずだ。

 

 

(中略)

 

 

他方で、ぼくも毎日、朝から晩までびっしりとスケジュールが詰まっている。しかし、その9割以上は自分のやりたいことで埋め尽くされている。

「堀江さんはいつもお忙しいですよね?」などど言われるが、正直なところ、ぼくはこれまで自分が「多忙」だと感じたことがない。

 

だってそうではないだろうか?

 

たくさんのオモチャが並べられた部屋に子どもを投げ込むと、彼らは次から次へとめまぐるしく遊びを変えながら、どれだけでも遊んでいようとする。

しかし彼らは「忙しい」などと感じない。ぼくもこういう子どもと大して変わらない。これが「多動」の状態である。

 

時間の価値を高めたいとき、注意するべきは「多忙」と「多動」を勘違いしないことだ。多忙な状態が続いているとき、なんとなく毎日が充実しているような錯覚に陥ってしまう。



時間革命 1秒もムダに生きるな
P24〜P27

 

ってことで

 

暇と多忙はやっぱまずい!!と深く理解した私です。

 

 

特に、最後の1行部分。
多忙な状態が続いているとき、なんとなく毎日が充実しているような錯覚に陥ってしまう。 って部分。

 

 

これ、すごく意識したほうがいいかと。

 

 

 

 

1日24時間は誰もが平等。

もっと細かく言うと

1日86400秒!!!

 

 

 

 

その1秒1秒って、限りあるもの。

 

1日な〜〜〜ん時間も、自分以外のことや何かの犠牲になるような生き方は、ほんとうにもったいないことです。

 

 

 

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