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世のため人のために尽くすことが、人として尊敬されたり立派だと言われます。
その背景には「自分さえよければいい」と言った利己的な考えの者を「人として最も愚か」という認識があります。確かに”自分さえ”の利己的人間は最低です。
ですが、「利己的であることを恐れて人に尽くす人」は決して幸せにはなれないと思うのですよ。

人に尽くす前にあなたは”自立した人”であるのか?

心と体のセルフアップサポート専門
吉田かおりです。
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「〇〇さんになんて言われるかわからないでしょ!(だからきちんとしなさい)」
「〇〇さんにちゃんとした態度を見せておきなさい」
「そんなことしていたら何て思われると思うの?!」

 

私がまだ幼い頃、親からこういった類の言葉をよく言われていました。周囲の目(世間体)を非常に気にかけている様子は子どもながらに感じていました。

 

そして、当時ひどく怒りっぽかった母と外出時に車内で二人きりになることが恐怖でした。

なぜならば、外出先の周囲に人がいる時でさえ感情的に怒られもしていましたが、車に戻った途端その勢いは加速していたからです。

 

つまり、これも周囲の目(世間体)は多少なりとも気にかけている。

だから周囲の目(世間体)が外れた途端変化する。

 

子どもの私は、何をするにおいても「私」ではなく「私以外」が大事なんだ。
「私以外」のことを最優先に考えて自分の判断をしていく必要があるのだ、と無意識的に思っていたようです。

幼い頃の環境によって刷り込まれたビリーフ(思い込み)のひとつです。

親のいうこと、親戚のいうこと、先生のいうこと、自分以外の他人が言うこと、それらを優先的に聞き入れ、それに合わせた行動をしていく。大人からみると「順応あるいい子」になるのです。そう、確かに私は中学生までは表面的には順応あるいい子でした。

 

こういった人との関わりは、
「自分に起こることの責任を持つことができる器」
を育たせない教育です。

 

そもそもこういった教育は、戦後の日本国の在り方が大きく影響しています。
世界第二次大戦後、日本国の復興のために設置されたGHQ。最高司令官マッカーサーといえば、ぶっといパイプを加えたなんか悪っぽい印象のヒゲのおじさんを覚えていますか?学校ではさらりと習っただけのこのことについて調べるほど、今現在においてまでの日本に悪影響をもたらせている始まりだなあという実感が深まるばかりです。

 

●参考文書

GHQの日本洗脳 70年続いた「支配システム」の呪縛から日本を解放せよ!

 

自分の住む国全体の教育が、自分で考えて行動する力を育てることとは反対の方向へと力注いでいる。

 

そんな大きな背景を今感じ、そのことを胸におきながらも、
一つの家庭に意識を向けて、この一つの家庭に起きていることを考えてみたいのです。

失敗させたくない親

親は、子どもに失敗して欲しくない、辛い思いをして欲しくない、悲しい思いをして欲しくない、無駄な時間を過ごして欲しくない、成功して欲しい、幸せになって欲しい……そう願って、

 

子どものことを過剰に口出しする

子どもの考えや行動をコントロールしようとする

子どもの気持ちを重んじずに世間を重んじる

 

これらの行動は本質的な親子の関わりを持つことから離れます。

 

子どもを大切にしたいという気持ちからなのは間違いないはずです。

でも、子どもに起きるであろう失敗や苦しい経験、それを親の方が「無駄」と決めつけるのは間違っています。

 

無駄かどうかその経験さえ奪われた子どもにどんな考えが湧くのでしょうか…?

 

人として価値があることは

「経験をすること」
「失敗から学ぶこと」
「物事の二面性そのすべてを受容できること」

 

そこには自ら望んで自分の思いや考えで行動していく経験でなければ、そこに価値は存在しません。
自ら望んで自分の思いや考えで行動していく経験をしてこなかった人は、体が大人になってもおじーさんおばーさんになっても自立できません。

 

自分に起こることに対して周囲のせいだとしか考えられなかったり、諦めることしかできず、物事の真実を見極める力を持ち、自分にできることがあることへの知恵を絞ることを学んできていないのです。ここの力をつけていくことが自立するということです。

あなたのしたいことは何?

あるお姑さんはとても明るく元気で気の利くいわゆる”出来る母親”。

いつも元気でパワフルでしかも気が利く「完璧な母親」である彼女は、もちろんお嫁さんとの関係もバッチリ。

久しぶりのお嫁さんとの再開に心弾ませ、お嫁さんに甘えさせてあげたい一心で色々とおもてなしします。

 

お嫁さんも色いろと楽しませてもらえ、大満足です。

翌日、お姑さんはお嫁さんにさらに尽くそうと張り切っています。

「どこへ行きたい?どこでも連れて行ってあげるよ」

「何が食べたい?何でも作ってあげるよ」

「何か欲しいものはない?何でも買ってあげるよ」

 

お嫁さんはだんだん不自然さを感じてきました。

自分のために働きかけてくれる(尽くしてくれる)相手に対して不満さえ感じたのです。
そして、

 

「お義母さんは何がしたいですか?」

 

するとお義母さんは驚いた表情で
「私??私のことなんてどうでもいいの!!あなたのしたいことをしましょうよ、こんなに甘えさせてあげることも滅多にできないのだから」

 

「でも…本当に、色んな事していただいてばかりだし、私はお義母さんがしたいことが知りたいです」

 

義母「え…え…、私…??……だから、
私はあなたが楽しんで満足してくれればそれで十分なのよ。本当にそれが私の望みなのよ」

 

 

お嫁さんは何の意地悪も失礼なこともされていませんが、この時ほどお姑さんのことに不満を感じたことはなかったそうです。

 

人には心があり、心が通い触れ合う時間を持つからこそ楽しさや安心感、充実感、信頼関係が生まれます。
一方的に尽くされたところではマトモな心の持ち主であれば不自然さを感じてきて当たり前です。

 

このお姑さんは、「理想の母」になりすぎたのです。
人に尽くしすぎなのです。

 

夫のため、子どものため、お嫁さんのため、孫のため、地域のため…

関心を向けるのは自分以外のこと。

 

こうして自分のしたいこともわからなくなり、興味のあること、嫌なこと、好きなこと、それら自分についての関心がなくなり何もわからなくなってしまったのです。

できる人を目指すとうまくいかない

「できる女」

「できる母親」

「できる人」

 

を目指してもいいことありません。

 

世間からどう見られるか、立派に見られているか、いい人に見られているか、
こんなものを基準にしていたらあなたの心は無くなってしまいます。
本当に大切なものを見失っていきます。

 

自分の心に感じること、自分のために必要なこと、そのセンサーを磨くのです。

 

それは決して利己的な人間ではありません。
他人のためにと行為することも、自分を肯定し受容する上でなければやがて自分が崩壊します。

 

表面的な関わり方しかできない、
心の触れ合いが本当にないままだといつも不安がつきまといます。

その不安を解消したいから人に尽くすようになってしまいます。

それは中身のない形を保つだけにすぎません。

 

親子関係でいうならば、そういった親の在り方は子どもに対して「支配型」か「過干渉型」か「過保護型」です。

この場合、愛情を与えているつもりが子どもの人格を否定してはいないか?を考えるべきです。
子どもの目線になって親としての自分を見てみてください。

 

自分(子ども)のしたいこと、考えることを拒否し、他人(親、社会)の言うことを優先的に聞きなさい、というのは自分を無くしなさいと言っていることと同じです。

自分を無くした人が「自立した人間」になんてなれるわけありません。

 

世のため人のためにと、あまりに自分を無くした考えに偏ると、善悪の判断基準しか持てず、誰にも嫌われないような選択肢ばかりを選び続けなければいけません。

 

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