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「本当の自分」について考えたくなる時って、きっと人生の中で重要なポイントに立っている時だと思います。そのとき自分の望むものがはっきり明確になる人は、その後の人生が豊かな方向へと加速していくもの。でも自分探しが続いているような場合、本当は何が必要なのかを見失っている時。本当の自分って何なのか?と考えるそんなターニングポイントに立っておられる方に向けて書いてみました。

「わからない」って答えるのはもうやめる

心と体のセルフアップサポート専門
吉田かおりです(私のプロフィールはこちら

 

自分について聞かれた時、「わからない」って答える人がよくいます。

 

単純な話、Aさんがちょっと珍しい料理の盛り付けをしました。
Bさんはその斬新な発想がなっかたので感心し、

 

「へ〜〜!すご〜い!なんでこんな風にしようって思いついたの??」

 

と聞いてもAさんは「わからない‥‥」と答える。

 

本当は、「こうするとより美味しそうに見えると思って」という彼女の中の答えはありました。

 

でも、その答え(自分の感覚や思い)を表現することを
恐れている、恥だと思う。

 

自分についてのあらゆる質問に対して「わからない」とすぐ答えてしまう人の心の根っこにはそのような歪んだ思い込みがあることがあります。

 

だから質問されたとき、まず考えようとしない。

すぐに「わからない」という一言で片付けてしまうことが癖になっている。

 

ある意味痛みを避けているのですが、本当は結果的に痛みを増している状態。

 

すぐに”わからない”って自分について思ってしまうあなたは、ここが「あなたの問題」ということを受け入れるところから始めなきゃいけません。これは、自分の外側(周囲)に向けてのバランスをとることに意識の重きを向けた生き方をしてきた結果です。

 

確かに、人(周囲)とのバランスを見て自分の在り方を変えていくことは大事なことです。
人の霊的成長においてこの観点がなければならないものです。

 

でも、自分を持っていない、自分を知らない、本当の自分がわからない人にとってのそのやり方(周囲によって自分のあり方を変えていく)は、より自分をわからなくさせるものとなってしまうので最悪なんです。

 

どこに向かって自分を探してますか?

自分探しをするために気づけば色々なセミナーや講座に参加ばかりし、多すぎるほどの資格を持っておられる方もいます。ですがいつまでたっても”まだ何かを身につけなければ自分は不足”と思い、こんな不足な状態では本当の自分ではない‥‥などと自分探しを続けてしまうような方もおられます。

 

また自分探しのために単純なスピリチュアル的癒しの言葉を求め、そういった言葉をただ鵜呑みにするだけで何の行動も伴っていない方も。

自分の外側ばかり向かって自分探しを求めていくと頭でっかちになってしまう場合があり、そんな時こそいつまで経っても何を取り入れても「これが自分ではない」「どこで何を取り入れたらいいのだろう」「本当の自分がわからない」という現状になってしまいます。

 

こんな風に頭でっかちになっている時って何が起きていると思いますか?

 

 

自分の心の凍結です。

 

 

自分に起きる感覚や感情を認めることができず自分軸で物事の判断ができないような時、自分の感覚を信じることができずに偽物の感情で覆い尽くされます。覆い隠された部分は不安や恐れが膨らんでしまうのは想像つきますでしょうか。すぐに”わからない”と答えてしまう人と同じ。

 

だからいつまでたっても本当の自分であれる感覚を得られないの。
そこに留まりたいか離れたいかの選択はあなたにあります。

本当の自分を知るためには自分の個性を知ること

あなたの個性とはどんなものでしょうか。
なにも特別なことや奇抜なことなどが個性ではなく、個の性質です。
外見的なことも挙げることはできますが、内面的な”見えない性質”についてどのように把握していますか?

 

どんな時幸せを感じるのか

 

どんな時辛い気分になるのか

 

あなたの生きる目的は何か

 

 

このようなことに対して丁寧に答えることができるでしょうか。

 

 

自分についての質問に対して「よくわからない」という気持ちが出てくる時、そのままそのことにスルーしないで、嫌かもしれませんが自分に立ち止まってみて欲しいです。

 

 

わからないまま過ごすことは不安や恐れを過剰にさせることにつながります。
その原因として、

 

・自分の思いを伝えていくと相手と衝突して嫌な思いをした。
・自分の感じたことを伝えたら”信じられない””おかしい”などと言われた。
・人の話を聞いていたら自分の感じていることなんて大した問題ではないと思うことばかりだ。

 

などなど‥‥

 

そんな体験から自分が感じたように表現することや、自分が考えることについてを隠すべきだと習得してしまいます。

 

自分の中だけのものとしてどこにも表現することなく(あるいはなかったことのようにして)、周囲の様子にあわせて『調和を図っている』と心底思い込んでいる人もいます。

 

そういった思いを取り込み強く今に影響を与えるものは、幼い時の親や家族との関わりを通して取り込んだものですが、そこが原因であってもとにかく大人になった今の自分についてどうするか、その責任は自分にあります。

恐れを受け入れる

周囲に合わせて調和を図る、この本当の意味を理解して行動できる人は”自分がある人”であり、どんな結果であれその人の中心(本当の自分)は否定的な影響やダメージは最小限で済むか、受けることさえなくなります。

 

自分がない人はの多くは、自分が傷つくことを恐れるあまりに【自分らしさ】を捨ててしまいます。

 

自分の思いを伝えることで相手と衝突した失敗から、極端な方向へ逃げるというやり方が本当に自分の学びになっていることなのかどうか??

 

恐れを無理やり手放そうとするから恐れが増すんですから、受け入れるだけです。

”白色”のやり方が失敗したと思ったのなら”真っ黒”にかえなくても、淡いグレーとかそのグラデーションがあるってこと!

 

他に試す努力もせず二つの選択しかないと決め付け狭い視野の中で生きていく必要はありません。また、周囲の調和(わかってもいない偽物の調和のくせに)そんなことばかりに気を使って自分を台無しにしているのはあなた自身なんです。

 

「本当の自分について考えても考えてもわからない」
「自分がどうしたいのかよくわからない」

 

などと悩みを抱くのは‥‥

 

人生いつまでも続くと錯覚していることからそのように悩んでしまうのではないでしょうか。

私の信頼する人が「最悪を観て最善を尽くす」ということを私に教えてくれました。

これは受け取る人によっては石橋叩いて渡ることを強化させ人生の経験を乏しくすることにもなりかねないのかなとも思いますが、この言葉は重要な意味を持っています。

 

”最悪を想定してみる”ということの最もは、”死ぬことを想定してみろ”ということです。
実際、死はいつどこで自分に訪れるのかはわかりません。

 

なのに、自分には今日も明日も1年後も2年後も10年後もまだまだずっと死はやってこないと思って行動しています。そう思うからいつまでも悩みを持ち続けます。

 

死に怯えて生きるのではなく、
死という終わりが必ずいつか来ること。

それがもしかしたら明日かもしれない。いつどこでなのかはわからないが必ず終わるという真実を受け入れた時、限りある時間の中で自分がどう生きるかの価値が持てます。

 

・恐れや不安を受け入れ共存すること

 

・恐れや不安の中で怯えて過ごすこと

 

このどちらのリスクが高いのか。
このどちらを信じることが自分の限りある人生に価値をもたらせるのか。

 

この問いに対して選びたいのはどっちですか。

 

死は「限り」という価値を生む

知人や身近な人の死を目の当たりにした時、感じたことはないでしょうか?

 

なんてあっけないのか‥‥といった感覚。
ついこの間まで普通にしゃべっていた人がもう冷たくなって横たわっている‥‥そのことについて私はあっけなさのような感覚を持ちました。

 

そういう他人の死という経験を通して、いつどこで訪れるものかわからないものであり、同時に避けられるものではないということ。

 

恐れを感じて怯えているよりも限りある命の中で自分に必要なことを考え行動することへ価値を持てるようになりました。

 

あらゆる選択肢の中で、いかにそのチョイスを最善なものへと向けていくか。現実に見えていることだけを視野に入れるのではなく、自分が自惚れたり自虐的になったりすることを避けるためにも今経験していることの最悪を想定し自分の最善を選びとっていきましょう。

 

フラットに物事をみる視点をもち素直に行動する。

あなたはあなたにしかない感じ方や感覚があってこそあなたなのですから、後悔のないように生きていきましょう。

 

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