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ヨガでは暴力とは「苦痛を伴うこと」の全てを示しますので、つまり自分に無理をしていることに気付かないまま過ごすことも、自分を否定しながら被害者の立場で弱々しく過ごすことも、相手を威圧したり攻撃して過ごすことも全部「自分」にとっての苦痛になるので、これら全てが暴力と言えると理解しています。

苦痛の判断も人それぞれ

心と体のセルフアップサポート専門
吉田かおりです(私のプロフィールはこちら

 

苦痛の判断基準も人それぞれ。
相手を威圧する態度をとる時、それが相手への暴力になるだけでなく自分にとっての暴力にもなることへの認識が持てない場合もあるかもしれないしね。

 

また、
同じ失敗を繰り返してばかりで情けないと嘆くだけで、何もそこから学び取ることなく新たな気持ちになれない場合もあるかもしれない。

 

そんな時は「今の自分はなんて暴力的なんだ」って思える視点って必要なのだと思います。

 

被害者の立場に自分を置くと、
なんにもできません。

 

そして自分は被害者(自分はダメなんだ)という主張をよくよく聞いてみると、そうやって自分の失敗ばかりに注目しているだけで、もしかすると愛を持って関わってくれている周囲の人間の行為を全く持って無視し踏み潰している場合もあります。

実は実に暴力的か。

 

被害者の立場だと思っている自覚はほとんどの場合がなく無自覚なので、本人はただ心底自分のことを情けないと哀れんでいますが真実は、「もっと自分に対して優しく大事にしてくれなきゃだめ!」と相手をコントロールしている場合だってあるのです。

 

フラットな視点に立つことができなければ暴力の本質的な意味を理解することはできないです。
その視点に立つことで初めて自分の中の小さなとらわれに気づき、本質的な成長へと進みます。

 

選択権は自分にある

その時その時にいる自分が、自覚的に選んで行為していることが重要。
言ってみれば自分を監視している自分がいる、みたいな感じ。

 

”こういう自分っていやだな”

と思う態度は選ばない。

 

もしそんな自分をしていることに気づいたら、
監視役の自分が、

”やべ!居眠りしちゃってたぜ!”ってな具合に起きてきて修正する。

 

仮にあなたが、”(相手に)こういってしまうと傷つけるだろうから‥‥”と、相手との関わりをしないでいたとします。

相手への思いやりのようなこの言葉の内心は

『自分が嫌われたくない』
という保身の態度からです。
これも実に傲慢か。

 

物事をフラットに捉えることによって真実はみえてきます。
監視役の自分を置いて、自分が一体何を選んでいるのかを自覚していきましょうね。

 

自分の溝を感覚刺激で埋めない。

 

日常的な場面でこんな経験ってこれまでありませんか?

 

「あ〜すっきりしない気分悪い、鬱憤晴らしに飲みに行こう」

 

「むしゃくしゃするからスイーツバイキングでいっぱい食べよう」

 

実はこれも暴力へとつながることも。

 

でも決してケーキバイキングが悪いわけじゃないし、お酒飲むことが悪いんじゃないのですね。

 

何がまずいのかというと、
それらが「自分の感情や問題を解消してくれると望んでいること」です。

 

お酒を飲むことや甘いものを食べることその行為が、自分に在った感情や問題を解消することを求めた上である場合、心が複雑に歪んできますよ。

 

自分に起きた痛い状況(感情、出来事)をお酒などの別の感覚刺激で満たそう、補おうとしても感覚刺激に溺れて自分を見失うことにもなりかねません。

 

摂食障害やアルコール中毒へ向かうのはこのような自分との不健全な関わり方が存在しベースになってます。

 

だから、お酒を飲むことや甘いものを食べることも、やけになって「くそ!今日はもう限界!お酒で紛らわせてやる!」というような心の様は、自分への暴力です。

 

意識して言葉(思い)を変えてみて、「前向きに切り替えるための気分転換でお酒を飲むぞ!」

これでいきましょう♪

 

同じ行為であっても中身が全く違うものになりそうですよね。

 

あなただって否定されるのも当然だ

自分を大事にした関わり方ってどんなのでしょう?

 

自暴自棄になったり、自分はダメだと落ち込んでうつに偏ったり、人に当たってしまうような時、そこには必ず理由があります。

 

その理由をあなた自身がきちんと理解しているかどうかです。

その理由をあなた自身が受け入れてあげることが大切なことです。

 

誰か他人に受け入れてもらえなかった。

 

その環境に受け入れてもらえなかった。
(例えば面接が不合格だったとか、失恋したとか‥‥)

 

自分を受け入れてもらえなかった経験、自分を拒否された経験、これは誰でもとても辛く痛い思いを感じることです。

 

あなたが外に見る存在に対して
「好き」や「嫌い」
「受け入れられること」と「受け入れられないこと」があるように、

 

あなた自身も「受け入れられない」「拒否される対象」になることは生きていれば必ずあります。

 

それは嬉しいこととは思えるものではないです。
誰だって大なり小なりの悲しみは生じるものです。

 

でも、そこで自己憐憫に浸り自暴自棄や他人に八つ当たりするような態度に向かうことは、結局は自分や周囲の人間をも苦しめるだけ。

 

あなた自身がその気持ちをしっかりと感じて受け入れてあげる時間が必要です。

 

そのためにも涙を十分に流して、
悲しみを十分に表現してみる。

そんな自分を認めることです。

 

そして、すっきりと、否定されることを受け入れましょう。

 

 

男だって泣けばいい。

泣くのは女性のものというわけじゃない。

 

黙ってただひたすら背中にいろんなもの背負いこみ、感情表現を許されずに「男たるもの」という枠に制限された男性たち。

 

人と横につながるコミュニケーションを経験することなく縦社会のなかだけで生きてきた男性たち。

 

自分の中で制限され、もっと横の世界を経験する機会を奪われ過ごしてきたことに嘆き悲しんでいい。

 

十分に自分の傷を嘆くと新たなスタートが切れます。

 

ご質問などはセッションにてお気軽にお聞きくださいね


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