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変わりたいと望むのならやっぱり自分が何者なのかをよく知ることが大事です。
コミュニケーション術とか身につけたところで根本的な自分の考え方を自分が知り、そこを望むものへと向けていない限り大した意味をもたらせないはずだから‥‥。

心の底に横たわる歪んだ考え方

心と体のセルフアップサポート専門
吉田かおりです(私のプロフィールはこちら

私は基本的に雑なタイプですがある部分では超几帳面になるタイプ。
それから結構な怠け者人間のようです。

 

こういった自己分析は大雑把なものであり、(ざっくりという)「自分てこうだ」は誰でもお持ちのことと思います。

 

でもそれだけでは、自分が「どんな人間なのか」まではよくわからない。

 

もうちょいと、踏み込んだ自分を知ることが、豊かな生き方には必要なことだと思ってます。

 

なぜ自分が「どんな人間なのか」を知ることが必要なのかというと、うん、やっぱりそこがない限り自分がないと同じだから。

 

自分が何者かを知るためには、受動的、受け身な自己分析ではなくて、もっと能動的で自発的な自分を知ることがなくては自分が何者かなんてわかりません。

 

「自分が何をしたいのか、何を望んでいるのか、それについてどう考えているから‥‥」など、自分独自の考え方についてを知らないで年だけ重ねていってもいい年齢重ねることはできません。

 

自分についてもっと深く知ろうとするならば、自分が何かしようとすることについて「どんな」考えを持っているのかを、客観的に知っていくといいですね。

例えば‥‥相手とのコミュニケーションの中で自分の気持ちを控えることが多いという場合。

 

「私は本当のこと(自分の気もち)を話したら、きっと相手は私に不満を持つだろう」

 

「自分の意見を言うことは相手と対立することである」

 

もしかするとこのような考え方が横たわっているかもしれないですよね。
このような考え方はかなり歪んでおり、その場合は次のような感情を引き起こしやすいです。

 

「私は相手の気分を悪くさせると罪悪感を感じる」

 

「私は相手の意見に同意せず自分の主張をすることに罪悪感を感じる」

 

 

また、自分のしあわせについて考えたとき、こんな風に考えていたとします。

 

「私は夫(妻・彼・彼女・子ども・親)の言動次第で自分の幸福感が決まる」

 

すると、次のような感情を引き起こしやすいです。

 

「私は相手に好かれていないととても悲しい」

 

「私は相手が自分の思う通りにならないととても腹が立つ」

 

これらのように、心の根底に歪んだ「考え方」があると、「感情」はどうしてもネガティブなものへと引っ張られます。そこから生じてくる「行動」は、自分が本当にしたいことや望んでいることではないのですね。

自分が何者かを知るというのは、本当はこんな自分は望んでいないぞ、こんな自分はいやだぞ、自分はこんな自分でいたいんだ、現状はこんな自分なんだ‥‥みたいな感じでとにかくちゃんと知ることなのではないでしょうか?

 

そんな感じで、いつの間にか

 

「私って雑なんだあ」

「私って怠けものだなあ」

 

って素直に認められるようになりました。

 

熱が出ても掃除機かけなきゃ気が済まない病的完璧主義タイプだった私が、雑であるとか怠け者だとか、こういったマイナス要素なんて‥‥それまではどうしてもすんなりと認めることができなかったのでしょうね〜。

 

でも自分の違和感とかね、
なんかしんどいと感じることを

 

無視せずに自分に向き合えば変わります。

 

完璧主義でいようとする自分への無理さに少しづつ気づき、とうとう

『どうしてそんなに完璧にしたい気持ちが強かったのか』

『どんな考え方を抱いていたのか』を知り、

 

その歪みに自分自身が気づいた時にはいろんな固定概念が剥がれていきました。

 

そうしたら、
”私って基本は怠け者なんじゃないか!”

という自分に気づき素直に認められたのです。

 

私はそういった自分への受け入れが何度もなされるたびに、これまで自分が周囲に見た雑な人、怠けている人に対して過剰に反応しない自分の在り方へと変化していきました。(病的完璧主義だった頃はそういう人を見ると超ストレスフルでした!)

違いを認められないから苦しくなる

人より劣っていたくない

 

人に弱みを見せてはいけない

 

人を頼ってはいけない

 

このような考え方が根底に横たわっていると、相手と自分の違いに気づいたときにすぐに身構えます。
ファイティング姿勢になり、自分のマイナス要素を必死に隠し通そうとしちゃいます。

例えば・・・

 

「あなたはずるい!!」

 

と言われたとき、「‥‥はい、確かにそうです。」とすんなりと心から認めることはできますか?

ムッと感じたり、嫌な気持ちになったり、イライラしたり、そんなことないって否定したくなったり、あなたの方が○○だ!と言いたくなったりする人は、まだまだ自分の中に存在するいろんな要素に本当は気づいていません。

 

どんな言葉でもですが、

「あなたはちょっとエラそーだな」

 

「あなたが嫌っているその相手に本当は嫉妬しているのでは?」

 

「それを認めたらどうですか?」

 

などというようないわゆる”指摘”を受けた時、瞬時に腹が動くように感情が動き、自分のよくわからないプライドの守りに入るようなこと、ありませんか?

 

 

こういう”プライド”とは、本当に自分を高め望ましい状態へと引き上げてくれるものではなく、ただ自分の痛みを避けその場その場で逃げ回っているだけです。言葉では理解したような言葉を発することができた場合も、心が穏やかでいられない場合は同じです。

 

自分の中にはあらゆる要素があり、人と同じになろうとする必要はありません。

 

雑で怠け者な私を私自身が認めたからといって、私の全てがそうではありません。それよりも、綺麗好きで当時はある意味自慢できるようなポジティブな態度だと思っていた「熱が出ても掃除しちゃう完璧主義の自分」の方がよっぽど病的で歪んでいたことに気づいたわけで。

ご質問などはセッションにてお気軽にお聞きくださいね

 

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